「だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい」
「霊と花嫁は,『来なさい!』と言いつづける。そして,だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」― 啓示 22:17。
エホバの証人はこれから一年間,全世界の200余りの国や地域で,「だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい」という年句に沿って努力します。
1 わたしたちはどんな「水」に『来る』よう招待されていますか。
あなたにも,「来なさい!」という招待が差し伸べられています。何のために来るのでしょうか。もちろん水で渇きを癒すためです。この水はありきたりの水ではありません。イエス・キリストがサマリア人の女性に井戸端で次のように話されたときに言われた水と同じです。「だれでもわたしが与える水を飲む人は,決して渇くことがなく,わたしが与える水は,その人の中で,永遠の命を与えるためにわき上がる水の泉となるのです」。(ヨハネ 4:14)イエスはどこからこの「水」を得られましたか。
2 「水」の源とは何ですか。それは,どんな出来事があった後に始めて流れ出しますか。
2 使徒ヨハネはこの「水」が湧き出る源を幻で見る特権に恵まれました。同使徒は啓示 22章1節でこう書いています。「彼は,水晶のように澄みきった,命の水の川をわたしに見せてくれた。それは神と子羊とのみ座から出て(いた)」。そうです,命を与える要素を備えた,水晶のように澄みきったこの水の源は,命の与え主であられるエホバ神ご自身にほかなりません。エホバ神は子羊イエス・キリストを通してその水を得られるようにしておられます。(啓示 21:6と比較してください。)「神と子羊とのみ座」とありますから,命の水が流れ始めるのは,1914年にメシアの王国が設立された後,つまり主の日が始まった後であるに違いありません。―啓示 1:10。
3,4 「水」は何を表わしていますか。それを得ることができるのはだれですか。
3 この命の水は何の象徴ですか。それは,完全な人間の命,つまり楽園に変えられた地上での完全な永遠の命を回復するための神の備えを表わしています。命の水は,イエス・キリストを通してなされる,命のための備えすべてを表わしています。現在,それらの備えは全部得られるのですか。いいえ,全部ではありません。というのは,神はまず最初に現在の邪悪な事物の体制と,その見えない支配者である悪魔サタンを排除しなければならないからです。しかし,王国の良いたよりに聞き従い,それにのっとった生活を送ることによって,この「水」のうち現在得られるものを利用することはできます。―ヨハネ 3:16。ローマ 12:2。
4 こうしてイエスは『命の川』をヨハネに見せた後,ご自分のみ使いを幻と共に送った目的をヨハネにお告げになりました。それからヨハネは次のような宣言を耳にします。「霊と花嫁は,『来なさい!』と言いつづける。そして,だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」。(啓示 22:17)したがって神の僕たちは,神の子羊を通してなされる,地上におけるとこしえの命を得るための神の備えを飲み始めるよう,渇いた者たちに招待を差し伸べます。―ヨハネ 1:29。
命の水の必要性が生じる
5 どうして人類は神のこの備えを必要とするようになりましたか。
5 人類の最初の親は自分たちの生き方により,子孫が楽園を住みかとし,完全な人間としての命を永久に楽しむ機会を与えることができたはずですが,残念ながら二人はそうした生き方を固守しませんでした。人類が永遠の命を得るには,アダムが自分の創造者に従順に仕える道を理性的に選択することが必要でした。エバは,反逆した霊の被造物の影響を受け,結果として人類に死をもたらす行動を起こしました。また,エバの完全な夫であったアダムは,エバと共にその死への道を歩むことを選びました。このようにしてアダムは人類の後々の世代に限りある命を与える者となったので,確かに,全人類に死の働きを持ち込んだのは実際にはアダムでした。それで,聖書はこう述べています。「一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がった」。(ローマ 5:12)アダムとエバが人類に新しい成員を加え始めたのは,二人が罪に陥った後のことでした。―詩編 51:5。
6 「水」が得られるようエホバが取り計らわれたのはなぜですか。
6 完全な人間の満ちる地上の楽園についての神の目的は,永久に阻まれて達成されないことになったのでしょうか。聖書の答えによると,もちろんそのようなことはありません。それでもエホバは,ご自身の目的を果たすために,アダムの悲惨な失敗を相殺すると同時に公正および義とも十分に調和した,愛ある備えを設けられました。エホバは公正と義が完全かつ最高度に表われている方です。エホバはその備えを「命の水の川」を通して設けられます。それにより,従順な人類に完全な人間の命を回復されます。人類が命の源に近づく道は失われていたのです。この川が完全な意味で流れるのは,イエス・キリストの千年統治の期間中です。ですから,死者の中から復活させられた人々を含め,人間はキリストの千年支配の間ずっと,「命の水の川」から飲まなければなりません。―エゼキエル 47:1-10; 使徒 24:15と比較してください。
7 「水」の備えはどんな基礎の上に設けられていますか。
7 エホバはご自身の命を楽しんでおられますが,ご自分の創造物の一部に,理知ある命の特権を付与することも楽しみとしておられます。命を与えるエホバの備えの基礎となっているのは,イエスの贖いの犠牲です。(マルコ 10:45。ヨハネ第一 4:9,10)また,聖書が時々「水」と呼んでいる神の言葉も関係しています。(エフェソス 5:26)神が最初の人間夫婦アダムとエバのために設けられた当初の備えを失った人間に対して,エホバ神は「来なさい!」と言うことができます。
花嫁級は「来なさい!」と言って,招待を差し伸べる
8 この「水」は最初だれに対して,またいつ備えられましたか。
8 「来なさい!」という招待を最初に差し伸べたのは,エホバの霊的な長子である子羊の比喩的な花嫁を構成する人たちでした。(啓示 14:1,3,4; 21:9)キリストの霊的な花嫁は自分自身に,つまり花嫁級の人員が14万4,000人となるようエホバ神がこれから花嫁級の成員として集められるであろう人々に,「来なさい!」と言っているのではありません。この招待の言葉は,ハルマゲドンの後に地上で完全な人間としての命を得ることを望む人々に差し伸べられています。(啓示 16:14,16)わたしたちは1914年以来のこの事物の体制の終結の時期に,「花嫁」が神の聖霊と提携して差し伸べてきた招待の言葉を聞いてきました。
9 それが小さなグループだけのものではないと,どうして分かりますか。
9 聖書巻末の書は,「だれも数えつくすことのできない大群衆」が神の王国の良いたよりをふれ告げる業にこたえ応じ,王の治めるその政府の側に固く付くさまを感動的に描写しています。(啓示 7:9,10,16,17)あなたはその大群衆の一人ですか。では,「だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい」。
霊と花嫁は「来なさい!」と言う
10 象徴的な水はどこに源を発しているに違いありませんか。なぜですか。
10 しかし,啓示 22章17節で神と比喩的な花婿のことが述べられていないのはなぜですか。一つ目に,この節では,だれの指示のもとに霊が活動しているか述べられていない点に注目してください。しかし,霊に言及されているので,わたしたちの注意はエホバ神ご自身に向けられます。天の父は除外されているのではありません。父は聖霊の源そのものであられるからです。二つ目に,み子はみ父に十分に協力されます。み子自身が述べておられるように,「子は,自分からは何一つ行なうことができず,ただ父がしておられて,自分が目にする事柄を行なえるにすぎません」。(ヨハネ 5:19)さらに,この招待の言葉は究極的にはエホバ神から発せられた霊感によることばですが,人間は「言葉」であるイエス・キリストを通して,「霊感の表現」,つまり神の指示を受けることができます。(啓示 22:6; および22:17,参照資料付き聖書,脚注。ヨハネ 1:1)ですから,この招待の言葉を花婿のキリストと結びつけるのは妥当なことです。わたしたちは確かに,花婿の父であられるエホバ神と花婿であるイエス・キリストが,聖霊という手段によって「花嫁」に加わり,「来なさい!」と言っておられるということを確信できます。
11,12 (イ)初期の時代に,水を飲むようにとの招待が拡大されるどんなきざしが見えましたか。(ロ)何年かたつうちに,問題はどのようにいよいよ明らかになりましたか。
11 「来なさい!」というこの招待の言葉は,これまで幾十年もの間,「命の水」を渇望する人々に差し伸べられてきました。花嫁級は1918年当時でさえ,特に地上で生きる可能性のある人々に関係した音信を宣べ伝え始めました。それは,「現存する万民は決して死することなし」と題する公開講演で,多くの人がハルマゲドンを生き残り,そののち神のメシアの王国の支配する地上の楽園でとこしえの命を得るという希望を掲げました。しかしその音信は,一般的な義を挙げてはいましたが,生き残るというこの特権を得るためのほかの方法を明示してはいませんでした。
12 1922年には,「来なさい!」という招待の言葉をもっと多くの人のところへ携えて行くため,「王と王国を宣伝しなさい」というメッセージが,神に仕えることに関心を抱く人すべてに送られました。1923年に花嫁級は,マタイ 25章31節から46節のイエスのたとえ話に出てくる「羊」と「やぎ」が,ハルマゲドン前に現われることを理解しました。次いで1929年には,「ものみの塔」誌の3月15日号に「恵み深い招待」という特集記事が掲載されました。主題の聖句は啓示 22章17節で,「来なさい!」という招待を差し伸べる花嫁級の責任が強調されていました。―87-89ページ。a
ほかの羊も加わって,「来なさい!」と言う
13,14 1930年代には,ほかの人たちも象徴的な水を飲むことが,さらにどのように明確にされましたか。
13 さらに「ものみの塔」誌は,早くも1932年に,今度は「ほかの羊」が「来なさい!」と言う責任を担う番であることを指摘しました。(ヨハネ 10:16)同誌は8月1日号の232ページ,29節で,「今エホバの証人は,エヒウと同じ熱意を抱いている。彼らはエホナダブ級[ほかの羊]が彼らと共に来て,神の王国が近いことを他の人々にふれ告げる業の,ある部分に加わるよう励まさなければならない」と述べました。その節は,次いで啓示 22章17節を引用し,その後こう述べています。「油そそがれた者たちは,王国の良いたよりを告げる業にあずかることを決意する人たちすべてを励ますべきである。主の音信を宣明するために,その人たちが主の油そそがれた者である必要はない。彼らにも,エホバのあふれるほどの善良さによりハルマゲドンを通過して地上での永遠の命を与えられる人々の級に命の水を運ぶことが許されている。そのことを知るようになったのは,エホバの証人にとって大きな慰めである」。b
14 1934年以降,油そそがれた残りの者は,これらほかの羊が今や神に献身し,その献身の象徴として水のバプテスマを受けてから,花嫁級に加わり,渇いているさらに別の人たちに「来なさい!」と言わなければならないことを指摘しました。したがって,それら渇いているほかの羊を集め,「一人の羊飼い」であるイエス・キリストのもとにある「一つの群れ」とするため,花嫁級は明確な招待を差し伸べるようになりました。(ヨハネ 10:16)1935年,油そそがれた残りの者はその年の全体大会において,自分たちが「来なさい!」と言っている羊のような人々の級が実際には啓示 7章9節から17節にある「大群衆」であることを知って鼓舞されました。これで,招待の業に大きなはずみがつきました。
15 「来なさい!」という招待に,「霊」はどのように関係していましたか。
15 「来なさい!」と言う花嫁級は神の霊と調和していました。神は,書き記されたみ言葉の預言の意味をご自分の霊によって解明し,花嫁級の残りの者に招待を差し伸べさせました。彼らが招待を差し伸べるに当たって拠りどころとしていたそれらの預言は,神の霊感によるものでした。したがって,羊のような大群衆の人々に「来なさい!」と言っていたのは,事実上,キリストとその花嫁を通して流れる神の霊でした。―啓示 19:10。
16 今日,招待の業に関して,霊と花嫁はどのように一致していますか。
16 今日に至るまで,霊も,残りの者によって代表される花嫁も,「『来なさい!』と言いつづけ(て)」います。残りの者はそれらほかの羊たちに,さらに他の人々を「来なさい!」と言って招待するよう勧めています。ほかの羊は,現在得られる「命の水」を自分たちだけのものにしておいてはなりません。「霊と花嫁」から出される命令,つまり「だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい」という命令に従わなければなりません。自らの渇きを癒している人は皆,この招待を広めなければなりません。人種,国籍,言語,現在の宗教のいかんを問わずあらゆる人に,そうです,あらゆる場所のあらゆる人に招待を差し伸べなければなりません。エホバの証人は,現在得られる「命の水」にすべての人が価なくしてあずかれるよう招待し,援助しています。
17 今日得られるのは,どんな「水」ですか。
17 子羊イエス・キリストは全地において,大群衆を実際に「命の水の泉」へと導いています。(啓示 7:17)これは汚染された水ではなく,まさにその源から得た,清くて冷たい健全な水です。その象徴的な水は,聖書の真理の理解という意味での水以上のものを意味しています。それは,イエス・キリストを通して与えられる神の備えすべてを表わしています。今でさえ大群衆はその備えによって,幸福で完全な永遠の命を得るための道を歩み始めています。
ふれ告げる業にいま加わりなさい
18 現代における招待の業はどれほど広範に行なわれていますか。
18 この大群衆の数はすでに数百万人に達しています。彼らは人の住む全地で王国の良いたよりを熱心にふれ告げ続けています。また,王国の良いたよりを宣べ伝える野外活動を定期的に報告しており,その業の行なわれている国や地域は212に上ります。この事物の体制の終結の時の時間が許す限り,偉大な時間厳守者であられるエホバ神の忍耐と辛抱強さに応じて,この招待の業はこれからも続けられます。神は,その時が尽きるのはいつか,また聖書預言の中で繰り返されている言葉に従って約束通りすべての人にご自分をエホバとして知らせる決定的な時はいつかを判断されるでしょう。―エゼキエル 36:23; 38:21-23; 39:7。
19 この「水」が価なくして提供されていると言えるのはなぜですか。
19 ですから,まだ時間が残されている間,大群衆に属する人々は喜んで花嫁級の残りの者に加わり,『来て,命の水を価なくして受けなさい』と言います。命を救うこの良いたよりの宣明者たちは価なくしてこの業を行なっており,世界中に王国の音信を広める奉仕に対して支払いを請求するようなことはしません。
20 この「水」が得られるために,どんな結果が生じますか。
20 現在,命の水は世界のどこでも得られるので,この水にあずかりたいと思う人々はそれを飲み,深い満足感を味わえます。それには命が救われるという結果が伴います。請け戻された人類は,楽園に変えられるこの地上で終わりのない命を享受し,エホバの貴重な目的を立証します。わたしたちの創造者はいたずらに地を作られたのではありません。神の像と様である完全な人間の住む,世界に広がるエデンの園,つまり喜びのパラダイスにするために地を作られたのです。
21 地に対する神の目的はどのように果たされますか。
21 確かに,そのような新しい世で生活するのは,言葉では表現できないほど大きな特権であり,喜びです。その時,神が創世記 1章27節と28節で最初の人間夫婦にお与えになった使命は十二分に果たされるでしょう。人類に臨んだ災厄をエホバが巧みに扱ってくださったので,地は,楽園になって完全な人間で満たされるまでに従わせられるでしょう。そうです,神はご自分が作られたすべてのものをご覧になるでしょう。そして,見よ,それは非常に良いということになるでしょう。あなたはそこにいたいと思われますか。もしいたいのであれば,すぐにも感謝の気持ちを抱いて,価なくして命の水にあずかり始めなければなりません。「来なさい!」,そして存分に飲み,命の水であなたの渇きを癒してください。この水はすでに流れ始めており,来たるべき千年統治ではあふれるほどに流れます。ですから,この喜ばしい招待の言葉を聞く人は皆,「来なさい!」と言ってください。
[脚注]
a その記事はとりわけこう述べました。「ここ数年ほどに,真理が広範に証しされたことはなかった。……残りの者は彼らに喜ばしい音信をもたらし,彼らに言う。『望む者は価なくして命の水を受けよ』と。そして,今より主の側に,また悪魔に反対する側に立場を取り,祝福を受けることができる,と彼らに告げる。柔和と義を求め,神がみ怒りを表明される日に隠され,ハルマゲドンの大いなる戦いを通過して永久に生き,死ぬことがないのは,そのような級の人々ではないだろうか。(ゼパニヤ 2:3)……忠実な残りの者級は共に恵み深い招待を差し伸べ,『来なさい!』と言う。この音信は,義と真理を求める人々にふれ告げなければならない。それは今行なわれなければならない」。
b 「ものみの塔」誌,1934年8月15日号もほかの羊の責任に言及し,249ページの31節でこう述べました。「ヨナダブ級は真理の音信を『聞く』人々であり,彼らの言葉を聞く人々に,『来たりたまえ。聞く者も言え,来たりたまえと。渇く者は来たれ,望む者は価なくして命の水を受けよ』と言わなければならない。(啓示 22:17)ヨナダブ級の人々は,対型的なエヒウ級の人々,つまり油そそがれた者たちと共に行き,油そそがれたエホバの証人ではないとしても,王国の音信を告げ知らせなければならない」。
あなたはどう答えますか
□ 啓示 22章17節で言及されている「水」とは何ですか
□ 「水」の源は何ですか
□ 「水」が必要なのはなぜですか。それはいつ流れ出すことが可能になりましたか
□ この記事によれば,「霊」に言及されている部分は何を示していますか。「花嫁」はどのように関係していますか
□ 「水」にあずかることができるのはだれですか。どんな結果になりますか