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集会聖書に対する洞察,第1巻
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全体集会 イスラエルで民全員が集合した行事の中には,宗教上の祭り,聖会(代二 34:29,30; ヨエ 2:15),あるいは国家的に重要度の高い催しが含まれており,その際には走者たちが民を召集することもありました。(サム一 10:17-19; 代二 30:6,13)週ごとの安息日,つまり「全き休み……,聖なる大会」の日(レビ 23:3)は,後代の会堂で『モーセが安息日ごとに朗読された』ように,神のみ言葉を熟考する時でした。(使徒 15:21)また,新月の行事(民 28:11-15),ラッパの吹奏の日(民 29:1-6),年に一度の贖罪の日(レビ 16章),過ぎ越し(イスラエルのエジプトからの救出を記念した; 出 12:14),および後代のプリムの祭り(ユダヤ人がペルシャ帝国で絶滅の脅威から救出されたことを記念した; エス 9:20-24)や献納の祭り(西暦前165年キスレウ25日の神殿の再献納を記念して; ヨハ 10:22,23)がありました。加えて,毎年「エホバの季節ごとの祭り」が三つ,すなわち無酵母パンの祭り,七週の祭り(後にペンテコステと呼ばれた),および仮小屋の祭り(レビ 23章)がありましたが,神はこれらの祭りに関して,「年に三度,あなたのすべての男子はまことの主であるエホバの顔の前に出る」ようにとお命じになりました。(出 23:14-17)多くの男子はこれらの祭りの高い霊的価値を認め,家族全員が出席するように取り計らいました。(ルカ 2:41-45)さらにモーセは,7年に一度,仮小屋の祭りの期間中に,イスラエルの男,女,子供たち,および外人居留者たちをエホバが選ばれる場所に集めるべきであると明確に述べていました。それは「彼らが聴くため,また学ぶため」で,「彼らはあなた方の神エホバを恐れ,注意してこの律法のすべての言葉を履行しなければならないのである」と述べられていました。(申 31:10-12)ですから,イスラエル人のためには,エホバの言葉と目的を考慮すべく非常に頻繁に集まるための備えが設けられていたことになります。―「祭り」を参照。
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献納の祭り聖書に対する洞察,第1巻
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クリスチャンに対する意義 イエスは西暦32年,宣教を行なわれた最後の冬の献納の祭りの時に神殿を訪れました。その記述はこうなっています。「その時,献納の祭りがエルサレムで催された。それは冬期であり,イエスは神殿で,ソロモンの柱廊を歩いておられた」。(ヨハ 10:22,23)第9の月であるキスレウは11月から12月にまたがる時期です。もちろん,この祭りが冬期に行なわれるということはユダヤ人の間では常識でした。したがって,ここで冬について触れているのは,季節のことではなく,イエスが人々を教えるために雨風をよける場所として「ソロモンの柱廊」を選ぶ理由となった天候の状態に関連しているのかもしれません。覆いのあるこの柱廊は異邦人の外の中庭の東側にあり,そこには多くの人がよく集まりました。―使徒 3:11; 5:12。
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