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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「使徒パウロの宣教」

特集

使徒パウロの宣教

パウロはイエスによって諸国民への使徒に任じられ,その任務を熱心に遂行しました。(ロマ 11:13)最初の宣教旅行では,キプロスを経て小アジアへ渡りました。パウロは怒り立つ群衆によってしばしば都市から追われただけでなく,石打ちにされ,死んだものとして放置されたことさえありました。それでも,弟子となった人々を強めるため再びそこへ行きました。

2回目の旅行では,マケドニアとギリシャにまで行きました。そこでは,アテネのアレオパゴスで証言することもできました。

3回目の旅行の際,パウロはローマ世界の交差点であったエフェソスで約3年間伝道しました。次いでマケドニアとギリシャへ赴き,その地の諸会衆を築き上げました。

ローマの官権により囚人として拘束された時,パウロは時間を生かして,今では聖書の一部となっている霊感による手紙を書きました。

1回目の旅行: 使徒 13:1–14:28

2回目の旅行: 使徒 15:36–18:22

3回目の旅行: 使徒 18:23–21:19

[747ページの地図]

地図: パウロの第1回宣教旅行

[747ページの地図]

地図: パウロの第2回宣教旅行

[747ページの地図]

地図: パウロの第3回宣教旅行

[748ページの図版]

ダマスカスの“まっすぐ”という名の通り。改宗の後,盲目になったサウロはこの通りぞいの家に連れて来られました(使徒 9:3-16)

[748ページの図版]

エフェソスの劇場。ここでアルテミス(挿入写真)の崇拝者たちはパウロの宣教に抗議して暴動を起こしました(使徒 19:29-41)

[748ページの図版]

ピシデアのアンティオキアの遺跡。この地の会堂で効果的な証言を行なった後,パウロは怒り立った暴徒によってその都市から追われました(使徒 13:14-50)

[749ページの図版]

フィリピでパウロが入れられたと言い伝えられている牢獄の跡。パウロはこの都市で殴打されて投獄されましたが,牢番とその家の者たちがクリスチャンになりました(使徒 16:19-34)

[749ページの図版]

古代テサロニケの城壁。パウロがここの人々と聖書から論じた後,怒り立った暴徒は市に騒動を起こしました(使徒 17:1-9)

[749ページの図版]

古代コリントの遺跡。後方に見えるのはアクロコリント。パウロは,周囲の不道徳な生き方に立ち向かえるようこのコリントのクリスチャンを強めることに努めました

[749ページの図版]

アテネのアクロポリスの今日の様子。右手前はパウロが話をしたアレオパゴス

囚人としてローマへ: 使徒 23:11–28:31

[750ページの地図]

地図: パウロのローマへの旅

[750ページの図版]

パウロはローマのある家で2年間監視のもとに置かれました。その期間に,霊感による5通の手紙を仲間のクリスチャンに書きました

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