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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「ベレア」

ベレア

(Beroea)

使徒パウロが第2回宣教旅行の際に訪れた,マケドニア州の人口の多い都市。(使徒 17:10-14)現代ではヴェロイアと呼ばれるこの都市は,テサロニケの西南西約65㌔の所にあるベルミオス山のふもとの肥沃な地域に位置していました。つまり,エーゲ海から35㌔ほど内陸にあったことになります。

使徒パウロとシラスが暴徒たちによる暴力行為のため,夜のうちにテサロニケをたつことを余儀なくされ,それからベレアに着いたのは,恐らく西暦50年ごろのことです。ベレアにはユダヤ人の共同体と会堂があり,そこでこれら二人の宣教者は宣べ伝えました。ベレアの人々は二人の音信に進んで耳を傾け,学んだ事柄の裏付けを得ようとして聖書を勤勉に調べたので,使徒 17章11節に見られるような称賛の言葉を受けました。その結果,これら「気持ちがおおらか」な人々の中から,ユダヤ人とギリシャ人双方の改宗者が出ました。しかし,狂信的なユダヤ人たちがさらに暴動を起こそうとしてテサロニケから到着したため,パウロの業は途中で打ち切られました。パウロはシラスとテモテを後に残してベレアの新たな信者の群れの世話をさせ,自分はアテネへ向けて出航しました。―使徒 17:12-15。

パウロは第3回宣教旅行の際,ベレアあるいはその近くを通って再びマケドニアに入ったに違いありません。その時パウロに同行した人の中には,ベレア出身のソパテロという名のクリスチャンがいました。―使徒 20:1-4。

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