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学校聖書に対する洞察,第1巻
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パウロはエフェソスにいた時,3か月にわたって何度も会堂で話をしました。会堂は教えを与える場所だったからです。しかし,ある人たちが良いたよりに強く反対した時,パウロは弟子たちをツラノの講堂へ移し,その講堂で2年間,毎日話をしました。その学校が設立された目的について詳細なことは何も述べられていませんが,パウロはその施設を自由に使用でき,恐らく毎日何時間も使ったものと思われます。―使徒 19:8-10,脚注。
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道聖書に対する洞察,第2巻
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道
(みち)(Way,the)
この表現は,道路,街路,軌道,小道,あるいは行動や振る舞いの様式,さらには通常の方針,やり方,方法などを指して用いられることがあります。聖書の中でこの表現は,エホバ神に是認される,あるいはその不興を買う,振る舞いや行動の仕方に関連してしばしば用いられています。(裁 2:22; 王二 21:22; 詩 27:11; 32:8; 86:11; イザ 30:21; エレ 7:23; 10:23; 21:8)イエス・キリストが到来してからは,人が神との正しい関係を享受し,祈りの中で受け入れられる仕方で神に近づけるかどうかは,その人がイエス・キリストを受け入れるかどうかにかかっていました。神のみ子が述べられた通りです。「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」。(ヨハ 14:6; ヘブ 10:19-22)イエス・キリストの追随者になった者たちは「この道」に属する者と言われましたが,それは彼らがイエス・キリストに対する信仰を中心とした生き方または生活様式を堅く守り,その模範に倣っていたということです。―使徒 9:2; 19:9,23; 22:4; 24:22。
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