-
マルコ聖書に対する洞察,第2巻
-
-
バルナバとサウロ(パウロ)はエルサレムで救援の奉仕を果たした後,『帰途につき,ヨハネ,またの名をマルコという者を一緒に連れて来ました』。マルコは彼らの従者として仕えたものと思われます。恐らく,旅行中の彼らの身体面の必要を顧みたのでしょう。(使徒 12:25; 13:5)彼らがパンフリアのペルガに着いた時,理由は明らかにされていませんが,何かのことで『ヨハネ[マルコ]は彼らから離れてエルサレムに帰りました』。(使徒 13:13)後にパウロが2回目の宣教旅行に出かける時,バルナバはマルコを連れて行くことに決めていましたが,パウロは『彼がパンフリアから先は自分たちを離れて業に同行しなかったことがあるので,彼をずっと連れて行くことを適当とは思いませんでした』。そこで「怒りが激しくぶつかって」,彼らは別れました。バルナバはマルコを連れてキプロスへ,パウロはシラスを連れてシリアとキリキアへ向かいました。―使徒 15:36-41。
-
-
パンフリア聖書に対する洞察,第2巻
-
-
海岸沿いやその近辺には,海港の町アタリア,ケストロス(アクス)川沿いのペルガ,シデといった幾つかの主要都市がありました。それらの都市では,沿岸の海賊が略奪品を売り,奴隷市場も存在していました。パウロとバルナバとヨハネ・マルコはキプロスのパフォスから北西に航行して海を渡り,「パンフリアのペルガに着(き)」ました。彼らがアタリアで上陸し,ペルガまでの十数キロの陸路を進んだのか,あるいは直接ペルガまで航行したのかはっきりとは分かりません。古代のケストロス川は少なくともペルガまで航行可能であったと伝えられています。ヨハネ・マルコはこのペルガで同行の二人から別れてエルサレムに戻りましたが,パウロとバルナバは北へ進み,山地を通ってピシデア(ガラテア州)のアンティオキアに行きました。(使徒 13:13,14; 15:38; 27:5)そのルートは盗賊が出ることで有名でした。(コリ二 11:26と比較。)帰路において,その二人のクリスチャンはパンフリアを通ってペルガまで旅をし,そこで宣べ伝えました。次いで二人はアタリアの港に行って,そこからシリアのアンティオキアへ向けて出帆しました。―使徒 14:24-26。
-