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イエス・キリスト聖書に対する洞察,第1巻
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「神聖な奥義」 イエス・キリストのうちに明らかにされた神の目的は,「神聖な奥義[または,秘義]」として,『久しいあいだ沈黙のうちに保たれて』いました。(ロマ 16:25-27)エデンで反逆が起きて以来,4,000年以上の間,信仰の人々は,「胤」が蛇のような敵対者の頭を砕くことによって人類を救済するという神の約束の成就を待ち望んでいました。(創 3:15)それらの人々はほぼ2,000年の間,「胤」に関してアブラハムと結ばれたエホバの契約に望みをかけていました。その「胤」は「その敵の門を手に入れ」,またその「胤」によって地のすべての国の民が自らを祝福するのです。―創 22:15-18。
ついに,「時の限りが満ちたとき,神はご自分のみ子を遣わし」,そのみ子によって「神聖な奥義」の意味を明らかにし,神の敵対者が起こした論争に対する決定的な答えを提出し(「エホバ」[最大の論争は倫理上の論争]を参照),ご自分のみ子の贖いの犠牲により,従順な人類を罪と死から請け戻す手だてを設けられました。(ガラ 4:4; テモ一 3:16; ヨハ 14:30; 16:33; マタ 20:28)そのようにして,エホバ神はご自分の僕たちの脳裏から,ご自分の目的に関するどんな不確かな,もしくはあいまいな点をも除き去られました。そのようなわけで,使徒は,「神の約束がどんなに多くても,それは[イエス・キリスト]によって,はい,となった」と述べているのです。―コリ二 1:19-22。
「神聖な奥義」には,単に神のみ子をそのような方として見分けることだけが関係していたのではありません。むしろ,あらかじめ定められた神の目的の枠組みの中でみ子に割り当てられた役割と,イエス・キリストを通してその目的が啓示され,遂行されることが関係していました。大変長い間奥義とされていたその目的は,「定められた時の満了したときにおける管理のため」のもので,「すなわちそれは,すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び集める」ことなのです。―エフェ 1:9,10。
キリスト・イエスと密接に結び付けられた「神聖な奥義」の側面の一つは,イエスが新しい天的な政府の頭となることで,その成員は地上の住民の中から取られた人々(ユダヤ人と非ユダヤ人)で構成され,その勢力範囲は天と地の両方を包含します。ですから,ダニエル 7章13,14節の幻の中で,「人の子のような」者(後に,この称号はしばしばキリストに適用されている ― マタ 12:40; 24:30; ルカ 17:26。啓 14:14と比較)がエホバの天の法廷に現われ,「支配権と尊厳と王国」を与えられます。それは,「もろもろの民,国たみ,もろもろの言語の者が皆これに仕えるため」です。しかし,同じその幻は,「至上者の聖なる者たち」もこの「人の子」と共に王国と支配権と偉観にあずかることを示しています。(ダニ 7:27)イエスは地上におられた時,弟子たちの中から,ご自分の王国政府の成員になる見込みのある最初の人たちを選び,またそれらの人が『イエスの試練の間イエスに堅く付き従った』後,王国のための契約を彼らと結び,彼らを神聖なもの(あるいは「聖なる者たち」)としてくださるようみ父に祈り,さらに,「わたしのいる所に彼らも共にいて,わたしに与えてくださった栄光を見るように」していただきたいと懇願なさいました。(ルカ 22:28,29; ヨハ 17:5,17,24)クリスチャン会衆はそのようにキリストと結ばれているので,霊感を受けた使徒が後に言い表わしたように,クリスチャン会衆も「神聖な奥義」の中で一つの役割を演じています。―エフェ 3:1-11; 5:32; コロ 1:26,27。「神聖な奥義」を参照。
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従順聖書に対する洞察,第1巻
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エホバ神は憐れみ深いことに,肉の罪と闘うための手段や,故意の不従順ではなく不完全さに起因する悪行の許しを得るための手段を設けてくださいました。また,聖霊によって,義を行なうための力も与えてくださいます。それによって,罪深い人間でも良い実を生み出せるのです。(ガラ 5:16-24; テト 3:3-7)罪の許しは,キリストの贖いの犠牲に対する信仰を通して来ます。そのような信仰はそれ自体,悪行を抑制するもの,また従順を促すものです。(ペテ一 1:2)そのためパウロは,「信仰による従順[柔順に聞くこと]」という表現を使っています。(ロマ 16:26; 1:16。使徒 6:7と比較。)ローマ 10章16-21節でパウロは,聞くことと信仰とが相まって従順を生み出すこと,またイスラエル人が従わなかった(信じなかった[アペイテオーに由来])のは信仰の欠如に起因することを示しています。(ヘブ 3:18,19と比較。)真の信仰は,「望んでいる事柄に対する保証された期待」であり,「見えない実体についての明白な論証」であることからすれば,さらに,神がおられること,また「ご自分を切に求める者に報いてくださる」ことを信じるのが真の信仰の要件であることからすれば,信仰を持つ人々は,従順がもたらす祝福に確信と信頼を持って,従うように動かされます。―ヘブ 11:1,6。
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