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  • 法,律法
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 罪と死の律法 使徒パウロは,人類の父アダムの罪のためにアダムの時からモーセの時代(律法が与えられた)に至るまで,『死が王として支配し』,また律法により違犯が明らかにされて人間は罪のある責められるべき者とされた,と論じています。(ロマ 5:12-14; ガラ 3:19)不完全な肉の内に働いているこの定め,つまり罪の律法は,力を行使して肉を支配し,肉に神の律法を破らせようとします。(ロマ 7:23; 創 8:21)罪は死をもたらします。(ロマ 6:23; コリ一 15:56)モーセの律法は罪と死という王の支配に打ち勝つことはできませんでしたが,自由と勝利は神の過分のご親切により,イエス・キリストを通してもたらされます。―ロマ 5:20,21; 6:14; 7:8,9,24,25。

  • 思い,知力
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 「思いの律法」 使徒パウロはこの新たにされた思いの働きを導くものを思いの律法と呼んでいます。その律法は新たにされた思いを「神の律法」にしたがって制御し,新たにされた思いはこの律法を喜びます。しかし,堕落した肉の中に働いている「罪の律法」は「思いの律法」と闘うので,クリスチャンの内面には絶え間ない闘いがあります。勝利を収めることができますか。できます。「わたしたちの主イエス・キリストを通してただ神に感謝すべきです!」 神の過分のご親切により,キリストの贖いの犠牲に基づいて肉の罪に対する許しが与えられ,さらに聖霊の助けも備えられているのです。クリスチャンはクリスチャンではない人たちと異なった状況に置かれています。そのことをパウロはこう要約しています。「こうして,わたし自身は,思いでは神の律法に対する奴隷ですが,肉においては罪の律法に対する奴隷なのです」。―ロマ 7:21-25; ガラ 5:16,17。

      この闘いで,思いはどのようにして勝ち抜くのでしょうか。同使徒は問題をさらに解明して,次のように述べています。「肉にしたがう者は自分の思いを肉の事柄に向けるのに対し,霊にしたがう者は霊の事柄に向けるからです。肉の思うことは死を意味するのに対し,霊の思うことは命と平和を意味するのです。肉の思うことは神との敵対を意味するからです。それ[堕落した,不完全な肉]は神の律法に服従しておらず,また,現に服従しえないのです。……そして,イエスを死人の中からよみがえらせた方の霊があなた方のうちに宿っているのなら,キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたその方は,あなた方のうちに住むご自分の霊によって,あなた方の死ぬべき体をも生かしてくださるのです」― ロマ 8:5-11。

  • 罪
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 罪の力と報い 「罪の報いは死です」から(ロマ 6:23),人間はすべて,アダムの家系に生まれることにより,「罪と死の律法」のもとに置かれてきました。(ロマ 8:2; コリ一 15:21,22)罪は死と共に人類を「王として支配し」,人類を奴隷にしてきました。人類はアダムによりこの隷従状態に売り渡されているのです。(ロマ 5:17,21; 6:6,17; 7:14; ヨハ 8:34)これらの言葉によれば,罪とは単にある行為を実際にしたこと,またはしなかったことだけでなく,人間のうちに働いている一つの律法,または支配原理,もしくは力,すなわち人間がアダムから受け継いでいる,悪行に走る生来の傾向ともみなされています。したがって,アダムから受け継いだものは,「肉の弱さ」つまり不完全さを生み出してきたのです。(ロマ 6:19)罪の「律法」は絶えず人間の肉の肢体の内に働き,事実上,人間の歩みを支配し,人間を神との調和を失った,罪の律法の臣下にしようとしています。―ロマ 7:15,17,18,20-23; エフェ 2:1-3。

      罪という「王」は,人により,また時代によって,異なった方法で人々に“命令”を下すことがあります。ですから,神はアダムの最初の息子カインが弟のアベルに対して抱いた怒りに注目し,カインに,善いことを行なうようになるべきであると警告なさいました。というのは,神は,「罪が入口にうずくまっており,それが慕い求めているのはあなたである。あなたはそれを制するだろうか」と言われたからです。しかし,カインは自らをそねみと憎しみの罪に制されるままにし,殺人を犯してしまいました。―創 4:3-8。サム一 15:23と比較。

  • 戦争,戦い
    聖書に対する洞察,第2巻
    • クリスチャンの戦い クリスチャンは血肉に対する物理的な戦いには携わりませんが(エフェ 6:12),それでもやはり戦いには携わっています。それは霊的な戦いです。使徒パウロは,クリスチャンの内面でなされる,「罪の律法」と「神の律法」すなわち「思いの律法」(神と調和しているクリスチャンの思い)との戦いを描写しています。―ロマ 7:15-25。

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