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エホバ聖書に対する洞察,第1巻
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アダムの子孫は不完全で,死んでゆく状態にあり,罪に捕らわれた致命的な状況から自分自身を解放することは決してできませんが,何千年もの間,地上に存続することを許されてきました。クリスチャンの使徒パウロはエホバがこのことを許しておられる理由を説明して,次のように述べました。「創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方[すなわち,エホバ神]によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです。わたしたちが知るとおり,創造物すべては今に至るまで共にうめき,共に苦痛を抱いているのです」。(ロマ 8:20-22)「予知,あらかじめ定める」の項で示されているように,エホバが最初の夫婦の逸脱行為を予見する識別力を行使することにされたということを示唆するものは何もありません。しかし,そのような行為が一度起きるや,エホバはその悪い状況を正す方法をあらかじめお定めになりました。(エフェ 1:9-11)最初,エデンにおける象徴的な預言の中に固く秘められていた,その神聖な奥義は,「真理について証し」するため,また『神の過分のご親切のもとに,すべての人のために死を味わう』ために地に遣わされた,エホバの独り子のうちに,ついに完全に明らかにされました。―ヨハ 18:37; ヘブ 2:9。「贖い」を参照。
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復活聖書に対する洞察,第2巻
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自由に関する希望には復活が伴う 使徒パウロは,人間が罪に陥った後,神の許しによってどんな状況が存在しているか,また,そのようにされた神の最終的な目的は何であるかについて,次のように説明しています。「創造物は[罪のうちに生まれ,すべての人が死に直面しているため]虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく[アダムの子供たちはアダムが行なった事柄を自分では制御できず,自分自身の選択でそうなったのでもないが,こうした状況に直面する世に生み出された],服させた方[知恵をもってそのようにされた神]によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです」。(ロマ 8:20,21; 詩 51:5)栄光ある自由に関するこの希望の成就を経験するため,すでに死んだ人々は復活しなければならず,死と墓から自由にされなければならないでしょう。そのため神は,蛇の頭を砕く「胤」に関する約束により,人類の前にすばらしい希望を置かれたのです。―「種,胤」を参照。
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