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死聖書に対する洞察,第1巻
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罪によって神から疎外されている人類一般は,「腐朽への奴隷状態」にあると述べられています。(ロマ 8:21)この奴隷状態は,彼らの体内に罪が働いているためで,それは腐敗してゆく実を生み出します。そして,神に従順でない人は皆,「死の見込みを伴う」奴隷として罪の支配下に置かれています。(ロマ 6:12,16,19-21)サタンは「死をもたらす手だて」を持つと述べられています。(ヘブ 2:14,15)彼は「人殺し」と呼ばれています。(ヨハ 8:44)それは,必ずしもサタンが直接殺すことを行なうからではなく,欺くことと罪へたぶらかすことにより,また腐敗と死に至る悪行をけしかけたり促したりすることにより(コリ二 11:3),さらには人間の思いと心に殺意を生み出させることによりそうするからです。(ヨハ 8:40-44,59; 13:2。ヤコ 3:14-16; 4:1,2と比較。)したがって,死は人間の友としてではなく,人間の「敵」として提示されています。(コリ一 15:26)死を望んでいるように見える人は,たいてい耐え難い極度の苦痛にさいなまれている人です。―ヨブ 3:21,22; 7:15; 啓 9:6。
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希望,望み聖書に対する洞察,第1巻
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全人類のための希望 また,イエス・キリストの霊的な兄弟たちが天の召しを受けてキリストと共同の相続人になるよう,神が彼らのために開かれた,すばらしい希望は(ヘブ 3:1),神に仕えることを願う人類すべてのための希望とも密接に結び付けられているので,神の過分のご親切は一層大いなるものとされています。使徒パウロは,天的な「神の子」,ならびにキリストと共同の相続人になるという期待を抱いている人たちの希望の大要を述べた後,こう説明しています。「創造物は切なる期待を抱いて神の子たちの表わし示されることを待っているのです。創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです」。―ロマ 8:14,17,19-21。
ローマ 8章20,21節のパウロの言葉によれば,エホバ神は人間の父祖アダムを彼が罪を犯した時点で滅ぼすことをなさらず,人間が不完全な父から生まれて,自分自身の故意の誤りのためではなく,受け継いだ不完全さのために虚無に直面するままにされました。しかし,神は人間を希望のないままに放置したりはせず,親切にも約束の「胤」(創 3:15; 22:18)によって希望を明らかにされました。その胤とはイエス・キリストです。(ガラ 3:16)メシアが最初に到来する時はダニエルの預言の中で予測されていました。(ダニ 9:24-27)バプテスマを施す人ヨハネの宣べ伝える業によって,イスラエル国民の期待は高まりました。(マタ 3:1,2; ルカ 3:15)イエスはご自分の宣教,死,および復活により,その希望を実現させました。しかし,人類一般の,つまり生きている人々と死んだ人々の両方のための大いなる希望の実現は,キリストとその共同相続人が天的な王および祭司として仕える,キリストの王国にかかっています。その時,信仰を働かせる人類はやがて不完全さと罪による腐朽から解放されて,「神の子供」としての完全な身分を得ることになります。神が1,900年余り前にみ子を復活させることにより,彼らの希望は強化されています。―使徒 17:31; 23:6; 24:15。
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不朽聖書に対する洞察,第2巻
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人間の置かれた,腐朽への奴隷状態 アダムは完全な人でしたが,それでも朽ち得る体を持っていました。しかし,彼が「腐朽への奴隷状態」に陥り,その状態をすべての子孫,つまり人類に伝えたのは,もっぱら彼が神に反逆したためでした。(ロマ 8:20-22)この腐朽への奴隷状態は罪や違犯から生じており(ロマ 5:12),衰退,疾患,老化,および死に至らせる身体的な不完全さをもたらします。そのようなわけで,「自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取(る)」ことになり,霊のためにまく者に約束されている永遠の命を得ることはありません。―ガラ 6:8。ペテ二 2:12,18,19と比較。
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