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立法者聖書に対する洞察,第2巻
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ですから,神は後にイスラエルに対して行なったように詳細な法典をお与えにはなりませんでしたが,人々には正しい行ないと間違った行ないとを確認する幾つかの手だてがありました。例えば,偶像礼拝はまだ明言された律法によって非とされてはいませんでした。とはいえ,使徒パウロが示しているように,神の「見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見える」ゆえに,そのような慣行は言い訳できるものではありませんでした。「創造した方より創造物」をあがめたり,『創造物に神聖な奉仕』を行なったりするのは全く道理に反することでした。そのような無知な歩み方に従う人たちは,その後,逸脱して,「自らの自然の用を自然に反するもの」に変え,同性愛行為などの他の不義な慣行に陥ることになりました。この場合でも,明確な律法は与えられていませんでしたが,男性と女性の造りそのものからして明白なように,そのような慣行は明らかに創造者なる神の道に反するものでした。人間は元々神の像に造られているので,このような事柄を理解する十分の知能を持っていました。したがって,神の道に反する歩み方をした人は,神のみ前で責任を負いました。その人を有罪として訴える,特に明言された律法がなくても,当人は罪をおかして,つまり『的を外して』いました。―ロマ 1:18-27。ロマ 5:13と比較。
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性質,自然聖書に対する洞察,第1巻
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体の自然な用い方 男性であれ女性であれ,神が彼らを創造した時に意図された機能と調和しない何らかの方法で自分の体を用いるのは間違ったことです。その意味で不自然な事柄は罪深いことです。聖書はそういう事柄を習わしにする人に臨む汚れと有罪宣告を次のように描写しています。「このゆえに神は,彼らを恥ずべき性欲に渡されました。その女性は自らの自然の[フュシケーン]用を自然に反するものに変え,同じく男性までが女性の自然の用を去り,互いに対し,男性が男性に対して欲情を激しく燃やし,卑わいな事柄を行なって十分な返報を身に受けました。それは彼らの誤りに対して当然なものです」。そのような人たちは,自分自身を獣のような程度にまで低めています。(ロマ 1:26,27; ペテ二 2:12)彼らは獣のように霊性がなく,道理に欠けているので,間違った肉的な事柄を追い求めます。―ユダ 7,10。
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