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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
塔90 12/15 30ページ

覚えていますか

あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深く考慮されましたか。では,次の点を思い起こすことができるでしょう。

□ 油そそがれたクリスチャンの中には,天に取られる前に,「大患難」を生き残ってしばらくの間地上で生活する人がいますか。―啓示 7:14。

聖書はこのことをはっきりとは述べていません。聖書の記述の中には,油そそがれた者たちが生きたまま新しい世に入るかもしれないことを示唆しているように思えるものがあります。しかし,地上で永遠に生きる希望を抱く幾百万もの人々は,新しい世をスタートさせるのに必要な訓練を受けてきました。したがって,こうした仕事を行なうために少数の残りの者がいなければならないということはありません。また,神は宗教上の娼婦である「大いなるバビロン」を処刑された後,「子羊の結婚」のために彼らを天に取り上げることにされるかもしれません。(啓示 18:2,10; 19:2,7,8)―8月15日号,31ページ。

□ クリスチャンの監督になることを切望している男子は,どんな動機を抱いているべきですか。(テモテ第一 3:1)

人は,他の人々に仕えたいと思って謙遜に,監督の職をとらえようと努めるべきです。そのように廉直な動機によって動かされるとき,その人が取るそうした行動は,関係するすべての人に霊的な祝福をもたらすことになります。―9月1日号,18ページ。

□ 使徒パウロは数多くの事柄を耐え忍ばねばならなかったにもかかわらず,なぜ落胆しなかったのでしょうか。

パウロは,「自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっているのです」と説明しています。(フィリピ 4:13)パウロは決して重荷を自分ひとりで背負おうとはせず,むしろ,支えになってくださるエホバに頼りました。(詩編 55:22)―9月1日号,30ページ。

□ 「憤っても,罪を犯してはなりません」という,エフェソス 4章26節のパウロの言葉は何を意味していますか。

これらの言葉は,人が正当な理由で怒る場合もあることを認めています。しかし,実際にそうなったとしても,その人は『日が沈むまで怒り立ったまま』でいるべきではありません。(エフェソス 4:26)なぜでしょうか。なぜなら,怒り立ったままでいると悪魔に付け入られ,唆されて邪悪なことを行ない,神の不興を被ることになりかねないからです。(詩編 37:8,9)―9月15日号,21ページ。

□ エホバの証人の教え方と,キリスト教世界の僧職者の教え方との間には,どれほど大きな相違がありますか。

エホバの証人は神の言葉の権威を持って教えるのに対し,キリスト教世界の僧職者の教えは,バビロンやエジプトから伝わった異教の宗教的な伝統に基づいています。―10月1日号,25ページ。

□ 神のみ子が地に来られた最も重要な理由は何でしたか。

イエスはおもに,エホバの主権に関してサタンが巻き起こした論争を解決する目的で地に来られました。―10月15日号,13ページ。

□ 世俗の権威を「上位の」と呼ぶと,エホバに帰せられるべき誉れを幾分差し引くことになりますか。(ローマ 13:1)

いいえ,そのようなことはありません。エホバは単なる「上位の」存在をはるかに上回る方だからです。エホバは「主権者なる主」,また「至上者」です。(詩編 73:28。ダニエル 7:18,22)世俗の権威は他の人間との関係において,また彼ら自身の活動の領域においてのみ上位であるにすぎません。彼らには地域社会を統治かつ保護する責任があります。―11月1日号,12ページ。

□ ガラテア 5章22,23節に述べられている神の霊の九つの実の中で愛が最大のものと言えるのはなぜですか。

神の霊の他の八つの実は,最初に挙げられている愛の表われ,あるいは愛の様々な面です。それら他の霊の実はすべて必要な特質ですが,わたしたちが愛に欠けるなら,それらの実はわたしたちの益にはならないでしょう。(コリント第一 13:3)―11月15日号,14ページ。

□ 仲間の信者のために祈ることにはどんな益がありますか。

わたしたちは祈りの中で他の人々の霊的な福祉を気遣うとき,兄弟愛のうちにそれらの人に一層引き寄せられます。そして,そうした人々に同情し,共通の関心や心配を抱くことにもなります。こうして,どんな苦々しさも根こそぎ除かれ,わたしたちを愛ある人,喜びに満ちた人にするような築き上げる考えがそれに取って代わります。―11月15日号,21,22ページ。

□ エホバ神を崇拝せずにはいられない理由にはどのようなものがありますか。

エホバを崇拝すべきなのは,エホバが創造者であり,その特質のゆえにわたしたちはエホバに引き寄せられるからです。(申命記 32:3,4。ヨハネ第一 4:8。啓示 10:6)聖書はこう述べています。「敬虔な専心はすべての事に益があ(りま)す。それは,今の命と来たるべき命との約束を保つのです」。(テモテ第一 4:8)エホバ以外にはどの神も,そのような結末を約束して,その約束を成就することなどできません。―12月1日号,6,7ページ。

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