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種,胤聖書に対する洞察,第2巻
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「胤」の復活 使徒ペテロは“胤”であられるイエス・キリストの復活について説明し,イエスが「肉において死に渡され,霊において生かされた」と書いています。(ペテ一 3:18)同僚の使徒パウロはキリストの仲間の復活という論題を扱う際,農業の例えを利用しています。そして,こう論じています。「あなたのまくものは,まず死ななければ,生きたものになりません。そして,あなたがまくものについて言えば,後にできる体ではなく,ただの種粒をまくのです。それは小麦,あるいはほかの何かでしょう。しかし神は,ご自分の喜びとなるとおりにそれに体を与え,種の一つ一つにそれ自身の体を与えられます。……死人の復活についてもこれと同じです。朽ちる様でまかれ,朽ちない様でよみがえらされます。不名誉のうちにまかれ,栄光のうちによみがえらされます。……物質の体でまかれ,霊的な体でよみがえらされます」。(コリ一 15:36-44)ですから,「女の胤」,つまり「アブラハムの胤」を構成する人たちは,死んで,地的な朽ちる肉の体を捨て,朽ちることのない輝かしい体で復活させられるのです。
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種まき人,種まき聖書に対する洞察,第2巻
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復活 パウロは霊的な復活について論じた時,物質の体が葬られることを種をまくことになぞらえて,こう述べました。「しかしながら,『死人はどのようによみがえらされるのか。いったいどんな体でやって来るのか』と言う人がいることでしょう。道理をわきまえない人よ! あなたのまくものは,まず死ななければ,生きたものになりません。そして,あなたがまくものについて言えば,後にできる体ではなく,ただの種粒をまくのです。それは小麦,あるいはほかの何かでしょう。しかし神は,ご自分の喜びとなるとおりにそれに体を与え,種の一つ一つにそれ自身の体を与えられます。……そして,天的な体と地的な体があります。……死人の復活についてもこれと同じです。朽ちる様でまかれ,朽ちない様でよみがえらされます。……物質の体でまかれ,霊的な体でよみがえらされます。……朽ちるものは不朽を着け,死すべきものは不滅性を着けねばならないのです」― コリ一 15:35-53。
神によって選ばれ,み子と共に共同の相続人となって不朽と不滅性を与えられる人たちは,復活によって天的な体を得るために死んで,肉の体を放棄しなければなりません。これは植えられた種が“死んで”分解すること,またその種が結果として生じる植物とは形も外見も全く異なっていることと似ています。
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