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  • コリント人への手紙
    聖書に対する洞察,第1巻
    • コリントにおけるパウロの宣教 パウロは西暦50年ごろコリントに着きました。最初のうちは安息日ごとに会堂で話をし,「ユダヤ人とギリシャ人を説得」しました。(使徒 18:1-4)しかし,会堂にいる人たちの反対に遭い,ののしりのことばを浴びせられて,同使徒は「諸国の人たち」,つまりコリントの異邦人に注意を向けました。パウロと彼らとの集会は会堂の隣の家に移され,多くの人が「信じてバプテスマを受けるように」なりました。同使徒は主から幻の中で,「この都市にはわたしの民が大勢いる」と告げられたので,そこに1年6か月とどまり,「彼らの間で神の言葉を教え」ました。(使徒 18:5-11)パウロはコリントにクリスチャン会衆を設立するための器でしたから,彼らにこう言うことができました。「あなた方にはキリストにあって一万人の養育係がいるとしても,決して多くの父親はいないのです。キリスト・イエスにあって,わたしが,良いたよりを通してあなた方の父親となったからです」― コリ一 4:15。

  • 父
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 「父」という語を形式的な,もしくは宗教的な称号として人に当てはめることはイエスにより禁じられました。(マタ 23:9)パウロはあるクリスチャンたちに良いたよりをもたらし,彼らを霊的に養ったので,その人々にとっては父親のようでした。しかし,「父親」という語が宗教的な称号としてパウロに当てはめられている聖句は一つもありません。(コリ一 4:14,15)パウロはテサロニケのクリスチャンとの関係で自分を父親と母親の両方に例えました。(テサ一 2:7,11)ルカ 16章24,30節では「父アブラハム」という呼び方がされていますが,これは基本的には血のつながった祖先という意味の言及です。

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