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  • どうすれば人種的偏見という感情を克服できるだろうか
  • 目ざめよ! 1988
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目ざめよ! 1988
目88 11/8 20–22ページ

若い人は尋ねる…

どうすれば人種的偏見という感情を克服できるだろうか

オーストラリアのシドニーに住む研究者たちは,9歳から13歳までの様々な人種の子供たちの一グループを対象にアンケート調査を行ない,他の人種の人に対する彼らの気持ちを表現させました。白人のオーストラリア人の子供たちの中には,少数民族に対する偏見を示した者がいましたが,「どの民族に属する子供たちも,オーストラリア人の子供たちと同様,どうかするとそれ以上に,他の民族に対して偏見を抱いていることを示し」ました。―「心理学ジャーナル」誌。

若い人たちも人種的偏見に対し免疫ではありません。「私の学校では,白人の子供は大抵一つの食堂で,黒人の子供は全員別の食堂で食事をします」と,17歳のルーシーは言いました。

ところで,あなたは他の人種の人に対してどんな感情を抱いていますか。心の中では,偏見を持つのは愚かで,不公平で,時代遅れであると分かっていても,やはりまだいくらか複雑な気持ちが残っているかもしれません。研究者のジェーン・ノーマンとマイロン・W・ハリス博士はこう述べています。「白人,有色人種を問わず十代の若者の……大多数は,偏見を持たれるのはいやだと言うが,彼らはお互いに心を許さず,信頼し合っていないことが多い。人種の線を越えて親しく交際すれば,友人や親から敵視される恐れがあることも彼らは知っている」。こうした人種的緊張は多くの国に存在します。

偏見を持つのは良くないと教えられてきたクリスチャンの若者も,他の人種の人たちのそばにいると気持ちが落ち着かないのを感じることがあります。彼らは他の人種の人に接する機会が非常に少ない地域に住んでいるか,あるいは人種的緊張の高まっている地域に住んでいるのかもしれません。それにしても,人種的偏見という感情はどこから生まれるのでしょうか。

人種的偏見の働き

偏見を持つとは,前もって裁くことを意味します。したがって,人種的偏見を持つ人は,いわば審理せずに他の人を裁きます。ある人種の人であればそれがだれであろうと,特定の好ましくない習慣や特性や態度を必然的に持つ者と断定し,自分の考えを明らかに否定する事実に直面しても,その偏見をはぐくむのです。例えば,ある人種グループの人々はみな“怠惰”である,または“無知”であると信じ込むかもしれません。そのグループに属する勤勉な,そして優れた才能さえ持つ人に出会った時でも,そういう人は“例外”に違いないと結論します。残念なことですが,その人は個々の人の特質を見る目がないのです。

しかし,偏見は先天的なものではありません。「人間行動の百科事典」はこう述べています。「世界を観察して分かったことであるが,子供たちは他民族の子供たちと差別なく遊ぶ。身体のはっきりした相違も気にとめないか,または当然のこととして受け入れる」。同百科事典はさらに,「偏見は……全く学習によるもので,初めは他の人々との相互影響を通して身につくものである」と述べています。親,教師,同じ年ごろの仲間などが,人種的偏見を伝える経路となるようです。他の人種の人々から不快な思いをさせられると,この偏見は強くなることがあります。

そのようなわけで,わたしたちの多くは,知らず知らずに偏った態度や見方を持つようになりました。ですから,この点に関する自分の感情を正直に直視する何らかの徹底した自己分析がしばしば必要となります。例えば,あなたには他の人種の友達がいるかもしれません。でも陰では彼らを軽べつしたような,あるいは人種的偏見を感じさせるようなことを言うでしょうか。それらの友達と話すとき,人種の違いを絶えず口にしたり,趣味の悪い,人を見下げた冗談を言ったりして,人種問題をいつも前面に押し出すでしょうか。「偏見の本質」という本は,「親しみのこもった冗談に思える場合でも,その下に真の敵意が隠されていることがある」と述べています。またあなたは,別の人種の人と一緒にいるところを人々に見られると間の悪い,落ち着かない気持ちになりますか。他の人種の人々には特定の才能 ― あるいは欠点 ― があると機械的に考えますか。

自分の偏見と真剣に取り組んだある若者は,「そんな感情がある自分に腹が立ちます。でも,どういうわけか,私はこの感情を抑えることができないようです」と嘆いていました。

人種に対する神の見方

しかし自分にこの問題があることを認めるのは,この問題と取り組むための大きな一歩です。また神が異なる人種をどうご覧になるかを理解することも助けになります。一例として,第1世紀に生じた状況を考えてみましょう。クリスチャン会衆は,いつまでも続く,ユダヤ人と異邦人の間の人種的緊張に悩まされていました。ある時使徒ペテロは同族の圧力に屈して,異邦人のクリスチャンから「身を引いて離れて」行き,食事さえ彼らと一緒にしようとしませんでした。使徒パウロはそのことを知ったとき,ペテロに同調するようなことはしませんでした。むしろ「面と向かって彼に抵抗しました。彼には責めるべきところがあったからです」。クリスチャンの間では人種的偏見は黙認されてはならなかったのです。パウロの言葉を借りるなら,「神は人の外見にしたがって事を行なったりはされません」。―ガラテア 2:6,11-14。

さらに使徒 10章34節と35節には,「神(は)不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」とあります。なるほど,ある人種の皮膚の色や顔の形,髪の質はあなたとは違うかもしれません。しかし,神が「一人の人からすべての国の人を造っ(た)」以上,人種間に見られる驚くべき多様性は神のみ手の業なのです。(使徒 17:26)それに神は,食物,音楽,服装のスタイル,言語,行儀作法などが人種によって違うことをとがめ立てされません。ですから使徒パウロは非ユダヤ人の間で働いていた時,彼らの習慣の多くはパウロが受けたユダヤ風のしつけに反するものであったに違いありませんが,それらの習慣を見下げたりはしませんでした。「律法のない人たち[非ユダヤ人]に対しては[彼らの習慣に敬意を示して]律法のない者のようになりました」と,パウロは述べています。―コリント第一 9:21。

ですから違う人種の人々を憎んだり,侮辱したりするなら,神に喜んでいただくことはとてもできません。

その感情を克服する

それでも長い間抱いてきた感情をきれいに捨て去るのは容易なことではありません。親しい友達や親にその問題を話すのは助けになるかもしれません。また,他の人と接する際に「自分を広くしなさい」という聖書の助言に従うのも良い方法です。(コリント第二 6:12,13)できれば交わりを,自分と同じ人種,文化,社会的立場の人だけに限らないようにします。「人間行動の百科事典」は,「交わりとコミュニケーションによって人々は互いに相手を知り,また理解することができるので,互いに相手に対する態度を変える場合が多い」と述べています。

住民の多くが白人の町に住むクリスという名の青年は,それが事実であることに気づきました。「私は偏見を持つようには育てられませんでした」とクリスは言います。「しかし,中学に入ってからいつも黒人の子供たちにいじめられていたので,黒人の子供は人に迷惑をかける者ばかりだと考えるようになり,次第に彼らを恐れるようになりました。それに黒人が住んでいた地域はかなり荒れていましたから,黒人はきっとみな怠惰なのだと思っていました」。

しかしクリスはエホバの証人と聖書の研究を始めました。この問題に対する神の見方を学ぶにつれ,黒人に対する彼の考えは和らぎ始めました。その後クリスは,ニューヨーク市のブルックリンにあるエホバの証人の世界本部で奉仕するようになり,人種の入り混じった会衆に所属することになりました。「そこで私はこの問題に直面しましたが,彼らの家を訪問して一緒に食事をするようになりました」。こうした接触は健全な影響を及ぼしました。「彼らもほかのみんなと同じだということに気づきました」と,クリスは語りました。

クリスチャン会衆の中には,「すべての国民と部族と民と国語の」人々がいます。(啓示 7:9)その人たちを知るようにしましょう。背景は違っていても,その人たちが神に喜ばれる方法で一致して働く様子を観察しましょう。人々をグループに属する人として見るのをやめ,『各人の業がどんなものかを吟味して』,その人個人を知るようにしましょう。(ガラテア 6:4)自然に振る舞い,「自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」という黄金律を守りましょう。(マタイ 7:12)優越感が自分の内にわき上がるときは,祈りをこめて,『他の人が自分より上であると考えるように』という聖書の助言に従いましょう。―フィリピ 2:3。

もちろん,あなたの消極的な見方は一夜にして成ったものではないので,一夜にして消え去ることはないでしょう。しかし,勤勉に,そして忍耐強く努力するなら,偏見は時がたつにつれて克服できるでしょう。

[21ページの囲み記事]

黒人はのろわれているか

黒人は神にのろわれていると主張して,自分たちの偏見を正当化しようとする人々がいます。しかしそのようなのろいは聖書に記録されていません。創世記 9章25節に,「カナンはのろわれよ。自分の兄弟たちに対する最も卑しい奴隷となれ」とあるのは事実です。でも,よく引用されるこの一文には,皮膚の色については何も述べられていません。それに黒色人種はカナンの兄弟クシュから出ているようです。(創世記 10:6,7。「参照資料付き 新世界訳聖書」のイザヤ 43章3節の脚注をご覧ください。クシュという名称がアフリカの国エチオピアを指すものとして用いられています。)カナンの子孫の皮膚の色は薄く,黒ではなかったようです。

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