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「すべての慰めの神」ものみの塔 2008 | 9月1日
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人生において苦難に遭ったり,挫折したり,孤独な状況に置かれたりすると,悲しみに暮れ,絶望することさえあります。そのような時には,『どこに助けを求めたらよいのだろう』と思うかもしれません。コリント第二 1章3,4節の使徒パウロの言葉は,信頼できる慰めの源を明らかにしています。それはエホバ神です。
3節では,神が「優しい憐れみの父」と呼ばれています。これはどういう意味でしょうか。「優しい憐れみ」と訳されるギリシャ語には,他の人の苦しみに同情するという考えが含まれます。a 聖書のある解説書によると,この語は「哀れに思う」もしくは「深く気遣う」と訳すこともできます。神は「優しい憐れみ」に動かされて行動されます。神のご性格のこの面を知ると,神に近づきたいという気持ちになるのではないでしょうか。
パウロはエホバを「すべての慰めの神」とも呼んでいます。この「慰め」という語には,「苦難に遭っている人や悲しんでいる人を慰めるという考えと,積極的に助けや励ましを与えるという考え」が含まれる,と言われています。「注釈者の聖書」(英語)は,「苦痛に耐えるよう勇気づけるとき,その人を慰めていることになる」と説明しています。
『神はどのようにわたしたちを慰め,苦痛に耐えられるよう勇気づけてくださるのだろう』と思われるかもしれません。神はおもにみ言葉 聖書と祈りの賜物を通して慰めてくださいます。パウロによれば,神は愛情深くも,わたしたちが『聖書からの慰めによって希望を持てる』ようにと,み言葉を与えてくださっています。さらに,わたしたちは心からの祈りをささげることによって,「一切の考えに勝る神の平和」を享受できます。―ローマ 15:4。フィリピ 4:7。
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「すべての慰めの神」ものみの塔 2008 | 9月1日
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a 神が「優しい憐れみの父[つまり源]」と呼ばれているのは,同情心が神に源を発しており,神の特質の一部を成しているからです。
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