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そばめ聖書に対する洞察,第2巻
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比喩的な用法 使徒パウロはエホバを,自由な妻の夫,つまり霊によって生み出されたクリスチャンの「母」である「上なるエルサレム」の夫になぞらえています。それはアブラハムがサラの夫であったのと同様です。さらに,エホバと,首都エルサレムによって表わされるイスラエル国民との関係を,夫とそばめとの関係に例えています。エホバは律法契約を通して「下女」,つまり『そばめ』であるエルサレムと『結婚』されました。これは,アブラハムと,奴隷女でそばめであったハガルとの関係と類似しています。―ガラ 4:22-29。イザ 54:1-6と比較。
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ハガル聖書に対する洞察,第2巻
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使徒パウロによれば,ハガルは一つの象徴的な劇で役割を演じました。彼女は,シナイ山で発効した律法契約によってエホバと結ばれていた肉のイスラエル国民を表わしていたのです。その契約は「奴隷となる子供たち」を生み出しました。イスラエル国民は民の罪深い状態のゆえに,その契約の条項を守ることができませんでした。イスラエル人はその契約の下で自由の民になることはなく,かえって死に値する罪人と宣告されました。したがって彼らは奴隷でした。(ヨハ 8:34; ロマ 8:1-3)パウロの時代のエルサレムはハガルに相当しました。なぜなら,首都のエルサレムは生来のイスラエルの組織を代表しており,その子供と共に奴隷の身分にあったからです。しかし,霊によって生み出されたクリスチャンは,神の象徴的な女である「上なるエルサレム」の子供です。このエルサレムは,自由の女サラのように,一度も奴隷の身分になったことがありません。とはいえ,イサクがイシュマエルに迫害されたのと同様,み子によって自由にされた,「上なるエルサレム」の子供たちも,奴隷状態にあったエルサレムの子供たちの手による迫害を経験しました。しかし,ハガルとその子は追い出されました。それはエホバが生来のイスラエルを一国民として捨て去られたことを表わすものでした。―ガラ 4:21-31。ヨハ 8:31-40も参照。
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例え聖書に対する洞察,第2巻
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関連した別の語は「風諭」(ギ語,アッレーゴリア)です。これは,一連の行動が他の行動の象徴となっている長い隠喩で,登場人物が何かの予型であったり,何かを擬人化したものであったりすることも珍しくありません。パウロはガラテア 4章24節で,アブラハム,サラ,ハガルに関してギリシャ語動詞のアッレーゴレオー(寓話化するの意)を用いていますが,この語は,『風諭である』(欽定),『風諭的なことばである』(聖ア),『象徴的な劇となっている』(新世)などと訳されています。
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