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  • 辛抱強さ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • これまでに述べた事柄から,辛抱強さはエホバ神を源とすることが明らかになります。それは神の霊の実です。(ガラ 5:22)神の像と様に造られた人間はある程度この特質を備えており,神の言葉と聖霊の導きに従うことによって,その特質を培うことができます。(創 1:26,27)ですからクリスチャンは,この特質を培って表わすよう命じられています。(コロ 3:12)それは神の奉仕者であることを見分ける印の一つです。(コリ二 6:4-6)使徒パウロは,「すべての人に対して辛抱強くありなさい」と述べています。(テサ一 5:14)パウロの指摘によると,神に喜んでいただくために不可欠なのはこの特質を働かせることです。しかし,もし不平や不満が伴っているなら,その人の辛抱強さは純粋なものではありません。パウロは「喜んで辛抱する」ことこそほめられるべきものである,と説明しています。―コロ 1:9-12。

  • 愛
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 人はどのようにして愛を身に着けるか 最初の男と女は,聖霊により,神のこの主要な属性である愛の幾分かと,その愛を広げ,大きくし,豊かにする能力を持つ者として創造されました。愛は神の霊の実の一つです。(ガラ 5:22)敬虔な愛は,身体的な美しさや,音楽の才能,あるいは同様の受け継いだ特質など,何らかの身体的また知的能力の場合のように,なぜそれを持っているのかが分からないといった特質ではありません。敬虔な愛は,神についての知識と神への奉仕,また黙想と認識なくしては人の中に存在し得ません。人は愛を培うことによってのみ,愛の源である神に見倣う者となれます。(詩 77:11; エフェ 5:1,2; ロマ 12:2)アダムは神への愛を培いませんでした。彼は愛の完全さへと進歩しませんでした。そのことは,愛という結合の完全なきずなによって神としっかり結ばれていなかったことから明らかです。しかし,不完全で罪を持つ者になったとはいえ,アダムは「自分の像どおり」の子孫に,愛する能力と素質を伝えました。(創 5:3)人類は一般に愛を表わしますが,それはしばしば誤導され,腐敗し,ゆがんだ愛です。

  • 愛
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 愛は拡大する 神の霊の実である真の愛には拡大する性質があります。(コリ二 6:11-13)それは,出し惜しみすることも,限定されることも,領域内に閉じ込められることもありません。愛は分け与えることによって完全にされます。人はまず神と(申 6:5)み子を(エフェ 6:24)愛し,次いで全世界の仲間のクリスチャン兄弟全体を愛さなければなりません。(ペテ一 2:17; ヨハ一 2:10; 4:20,21)人は自分の妻を,そして妻は自分の夫を愛さなければなりません。(箴 5:18,19; 伝 9:9; エフェ 5:25,28,33)愛は自分の子供たちにも差し伸べられるべきです。(テト 2:4)人は全人類を,自分に敵対している者をも愛すべきであり,クリスチャンの業は彼らに対しても行なわれなければなりません。(マタ 5:44; ルカ 6:32-36)聖書は,愛を筆頭とする霊の実について注解し,「このようなものを非とする律法はありません」と述べています。(ガラ 5:22,23)この愛には,それを制限し得る律法はありません。愛は,それを受けるべき人に対していつでも,どこでも,どれだけでも実践できます。事実,クリスチャンが互いに負うべきただ一つの負債は愛です。(ロマ 13:8)互いに対するこの愛こそ真のクリスチャンのしるしとなるものです。―ヨハ 13:35。

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