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    聖書に対する洞察,第1巻
    • 悪魔サタンと配下の悪霊たちも支配者です。サタンは「この世の支配者」,また「空中の権威の支配者」と述べられています。(ヨハ 12:31; 14:30; エフェ 2:2)この世のすべての政府が悪魔サタンの支配下にあることは,サタンが,一度の崇拝行為を代償としてイエス・キリストにそれらを提供したことから明らかです。(マタ 4:8,9)サタンはこれらの政府に権威を与えています。(啓 13:2)サタンの組織内にあって,悪霊たちも支配権を行使しています。彼らは「この闇の世の支配者たち」として言及されており,例えばペルシャやギリシャなどの目に見えない「君」として,歴史上の世界強国に権威を行使してきました。(エフェ 6:12; ダニ 10:13,20)彼らの支配者は言うまでもなく悪魔自身です。―マタ 12:24。

  • 霊
    聖書に対する洞察,第2巻
    • エフェソス 6章12節は,クリスチャンが「血肉に対する[格闘]ではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対する」格闘をしていることについて述べています。ギリシャ語のこの句の後半は字義通りには,「天の[場所]にある悪の霊的な(もの)[ギ語,プネウマティカ]に向かって」となっています。現代の大抵の翻訳者は,この箇所が単に抽象的なもの,つまり「霊的悪」(欽定)ではなく,霊者たちによって行なわれている悪に言及していることを認めています。したがって,次のような訳し方があります。「天上の悪の霊の勢力」(聖ア),「天の場所にある悪の霊的な軍」(改標),「天にある悪の霊的な軍隊」(エルサレム),「天にある悪の超人的な勢力」(新英)。

  • タルタロス
    聖書に対する洞察,第2巻
    • これらの聖句から,タルタロスは特定の場所というよりは,ある状態であるということが明らかになります。というのは,一方ではペテロが,これらの不従順な霊たちは「濃密な闇の坑」にいると述べているのに対し,パウロはそれらが「天の場所」にいて,そこから邪悪な霊の勢力として闇の支配を行なっていると述べているからです。(ペテ二 2:4; エフェ 6:10-12)同様に,濃密な闇とは文字通りに光がないことではなく,神の家族からの変節者また追放者として彼らが神の啓発から切り断たれる結果生じる闇のことで,彼らのとこしえの運命については暗い見通ししかないのです。

  • 戦争,戦い
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 邪悪な霊たちに対する戦い 罪の律法に対するこの戦いに加えて,クリスチャンには,悪霊たちとの戦いがあります。悪霊たちは肉の傾向を利用して,クリスチャンが罪を犯すよう誘惑します。(エフェ 6:12)この戦いにおいて,悪霊たちはまた,自分の影響下にある者たちを唆してクリスチャンを誘惑させ,あるいはクリスチャンに反対させたり彼らを迫害させたりして,神への忠誠を破らせようとします。―コリ一 7:5; コリ二 2:11; 12:7。ルカ 4:1-13と比較。

  • 世,世界
    聖書に対する洞察,第2巻
    • コスモスは同様の仕方で,しかも非常に頻繁に,人種のいかんを問わずクリスチャンではない人間の社会全体を表わすのに用いられています。これこそイエスとその追随者たちを憎んだ世です。世が彼らを憎んだのは,イエスや追随者たちが世の不義に関して証しをし,世から離れていたからです。その世は彼らを憎むことによってエホバ神ご自身に対する憎しみを示し,神を知るようにはなりませんでした。(ヨハ 7:7; 15:17-25; 16:19,20; 17:14,25; ヨハ一 3:1,13)神の敵対者,悪魔サタンは,この不義の人間社会という世とそのもろもろの王国の上に支配権を行使しており,事実,自分をそのような世の「神」としています。(マタ 4:8,9; ヨハ 12:31; 14:30; 16:11。コリ二 4:4と比較。)そのような不義の世を生み出したのは神ではありません。それが発達してきたのは神の主要な反対者によるもので,『全世界は[その者の配下に]あります』。(ヨハ一 4:4,5; 5:18,19)サタンとその「天の場所にある邪悪な霊の勢力」は,神から疎外された世に対して目に見えない「世の支配者たち[または,世の力ある者たち; ギ語,コスモクラトラス]」として行動しています。―エフェ 6:11,12。

      そのような聖句では,単にイエスの弟子たちが一部となっていた人類社会のことではなく,真のクリスチャン会衆の外に存在する,組織された人間社会全体のことが言われています。そうでなければ,クリスチャンは死んで,肉体で生きるのをやめない限り,「世のもの」であるのをやめることはできないでしょう。(ヨハ 17:6; 15:19)淫行,偶像礼拝,強奪,およびそれに類する行ないに携わる人々も含まれる世の人々の社会のただ中でやむを得ず暮らしてはいますが(コリ一 5:9-13),そのような立場にあるクリスチャンは,世と共に罪に定められることのないよう,世との友好的な関係に入らないようにして,自分を世の腐敗や汚れによる汚点のない清い状態に保たなければなりません。(コリ一 11:32; ヤコ 1:27; 4:4; ペテ二 1:4; 2:20。ペテ一 4:3-6と比較。)また,神の目に愚かなものである世の知恵を導きとすることはできず,「世の霊」つまりその利己的で罪深い促進力を“吸う”こともできません。(コリ一 1:21; 2:12; 3:19; コリ二 1:12; テト 2:12。ヨハ 14:16,17; エフェ 2:1,2; ヨハ一 2:15-17と比較。「霊」[人を促す働きをする精神的傾向]を参照。)こうして,彼らは神のみ子が行なわれたのと同じように,信仰によって不義の人間社会という『世を征服する』のです。(ヨハ 16:33; ヨハ一 4:4; 5:4,5)その不義の人間社会は神から滅ぼされることによって過ぎ去ることになっています。(ヨハ一 2:17)それは大洪水以前の不敬虔な世が滅びたのと同じです。―ペテ二 3:6。

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