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腰聖書に対する洞察,第1巻
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クリスチャンはエフェソス 6章14節で,『真理を帯として腰に巻く』ように,すなわち肝要な支えである神の言葉の真理によって強められるようにと命じられています。これは,体の腰に帯をしっかり締めればひどい重圧のもとでも損傷を受けないよう守られるのと同様です。
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義聖書に対する洞察,第1巻
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「義の胸当て」 聖書は,「守るべき他のすべてのものに勝ってあなたの心を守れ。命はそこに源を発しているからである」と告げていますから,クリスチャンは「義の胸当て」を着ける必要があります。(箴 4:23; エフェ 6:14)堕落した罪深い人間の心は不実で,必死になるので,心が悪くならないよう守るには,神の義に従うことが肝要です。(エレ 17:9)心は懲らしめと訓練を大いに必要としています。クリスチャンは聖書にしっかり従って初めて,そのような歩み方をしていることを確信できます。聖書は「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」と,使徒パウロは述べています。クリスチャンは,神のみ言葉をそのように活用する,義にかなった人たちからの懲らしめを感謝して受け入れるべきです。―テモ二 3:16,17。
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真理,真実聖書に対する洞察,第1巻
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クリスチャン会衆が「真理の柱また支え」となるために,その会衆の成員は自分たちの生活における立派な行状によって真理を表わさなければなりません。(エフェ 5:9)彼らはちょうど『真理を帯として巻いて』いるかのように首尾一貫して正しい行状を示し,それからそれてしまうことがないようにすべきです。(エフェ 6:14)クリスチャンは個人として浄さを保つことに加え,会衆の浄さにも関心を持たなければなりません。使徒パウロはクリスチャン会衆を清く保って不法な人々に汚されないようにする必要性を強調した際,このように書きました。「古いパン種を除き去りなさい。あなた方は酵母を持たない者なのですから,それにふさわしく新しい固まりとなるためです。実際,わたしたちの過ぎ越しであるキリストは犠牲にされたのです。ですから,古いパン種や悪と邪悪のパン種を用いず,誠実さと真実さの無酵母パンを用いて祭りを行なおうではありませんか」。(コリ一 5:7,8)イエス・キリストは過ぎ越しの子羊の実体としてただ一度だけ犠牲にされたので(ヘブ 9:25-28と比較),無酵母パンの祭りに匹敵するクリスチャンの生き方全体は,有害な事柄や邪悪な事柄を含んでいてはなりません。個人や会衆の浄さを保ち,そのようにして『誠実さと真実さの無酵母パンを用いて祭りを行なう』ためには,罪深い事柄を進んで取り除く態度がなければなりません。
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