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創世記聖書に対する洞察,第2巻
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次に,このことによって,メシアと,キリスト教を導入するための道が備えられました。イエス・キリストが到来した時,最善を尽くして律法に従う生活をしていた人たちは,すぐにイエスを見分けることができました。イエスは何の背景や歴史的な信用証明となるものもないまま突然現われて,ご自分を偉大な救い主であり指導者であると宣言されたわけではありません。創世記以降その時までに備えられてきた背景により,心の正直な人たちはイエスを認め,イエスに従うことができました。説得力のある福音を諸国民にもたらす備えのできた中核として,クリスチャンとなったユダヤ人の強力な組織を設立することができたのは,そのためでした。異教諸国民の先祖は彼らを真理から引き離していました。彼らは「イスラエルの国家から疎外され,約束にかかわる数々の契約に対してはよそ者であり,希望もなく,世にあって神を持たない者だったのです」。(エフェ 2:12)ですから彼らの場合,神に関する種々の原則を始めから学んだ後でなければ,クリスチャンになることができませんでした。
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希望,望み聖書に対する洞察,第1巻
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忠実な族長ヨブは,樹木にさえ再び芽を出す望みがあるのに,人間は死ぬと永久にいなくなってしまうと述べました。しかし,ヨブはその時,神からの助けなしに独力でやってゆく人間について話していたことを示唆しています。というのは,ヨブは神に覚えていただきたいという願いと希望を表明しているからです。(ヨブ 14:7-15)同様に,使徒パウロもクリスチャンに,復活の希望を抱いているのだから,「希望を持たないほかの人々のように悲しむ」べきではないと告げています。(テサ一 4:13)パウロはまた,異邦人のクリスチャンに語りかけて,彼らはキリストを通して設けられた神の備えに関する知識を得るまでは,神が昔,交渉を持っておられた国民から疎外されており,異邦人として「希望もなく,世にあって神を持たない者だった」ことを指摘しています。―エフェ 2:12。
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