ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 市民,市民権
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 霊的な市民権 パウロは手紙の中で霊的な市民権にも言及しています。そして,霊的なイスラエル人となった無割礼の異邦人のことを,かつてはキリストを持たず,イスラエルから疎外され,数々の契約に対してはよそ者であり,希望もなく,神を持たない者であったのに,「今やキリスト・イエスと結ばれ」ていると述べています。そして,その考えを進めて,こう続けています。「それゆえ,あなた方はもはや決してよそ者や外人居留者ではありません。聖なる者たちと同じ市民……なのです」。(エフェ 2:12,13,19)パウロがフィリピのクリスチャンにあてて,『わたしたちの市民権は天にある』と書き送ったのはとりわけ意義深いことでした。そのフィリピはローマの市民権を与えられた都市の一つであり,パウロは10年前にその都市でローマの市民権を踏みにじられたからです。(フィリ 3:20)その同じ手紙の中で,パウロは仲間の信者に,「良いたよりにふさわしく行動しなさい」と説き勧めました。ここで『行動する』(ポリテウオマイ)と訳されているギリシャ語には字義通りには,「市民として行動する」という意味があります。―フィリ 1:27。行間と比較。

  • ギリシャ語
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 中動態は,「ただ,キリストについての良いたよりにふさわしく行動しなさい[または,「市民として行動しなさい」]」とあるフィリピ 1章27節でも使われています。動詞ポリテウオマイはこの句ではポリテウエステという形の中動態で出ており,この語は「市民として行動する」,すなわち市民の活動にあずかり,良いたよりを宣明する業に参加することを意味しています。ローマ市民は概して国事に積極的に関与しました。というのは,ローマの市民権は大変高く評価されていたからです。とりわけ,フィリピの場合のように,ローマから市民権を与えられた住民の住む都市ではそうでした。それで,パウロはこの句の中でクリスチャンに対して,単にクリスチャンとしての立場を得ているだけで不活発になってはならず,クリスチャンの活動にあずからなければならないと語っているのです。これは,パウロが後日,彼らに対して,「わたしたちについて言えば,わたしたちの市民権は天にあり(ます)」と述べた言葉と調和しています。―フィリ 3:20。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする