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目ざめよ! 1999
目99 2/22 4–7ページ

話し合うべき理由

「鉄はまさしく鉄によって研がれる。同じように,ひとりの人が他の人の顔を研ぐ」― 箴言 27:17,聖書。

刃を研ぐといっても,刃と刃を打ち合わせるようなことはしません。刃を研ぐ作業はもっと穏やかに行なわれます。同様に,会話を通して思いを研ぐ場合にも,正しい方法と間違った方法があります。宗教のような扱いの難しい話題については特にそう言えます。

わたしたちはまず,相手の人の体面を傷つけないようにし,言葉と態度で敬意を表わさなければなりません。「あなた方の発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけされたものとし,一人一人にどのように答えるべきかが分かるようになりなさい」と,聖書は述べています。(コロサイ 4:6)慈しみ深く味わいのある話し方をすれば,たとえ自分は正しくて相手が間違っていると確信している時でも,独善的な口調にはなりません。

慈しみは,わたしたちの聴き方にも表われます。話をさえぎったり,反論しようとして思いが別のところにあったりするなら,慈しみをもって聴いているとは言えません。話している人はきっと自分の見方に対するこちらの無関心さを感じ取り,話すのをやめてしまうかもしれません。また,決して無理強いしたり,脅したりして見解を変えさせようとすべきでもありません。結局のところ,よい反応を示す聞き手の心に『真理の種を成長させてくださるのは神』なのです。―コリント第一 3:6。

わたしたちには,宣教において『論じ』,「説得し」た使徒パウロの良い模範があります。(使徒 17:17; 28:23,24)パウロは,市場でも人々の家でも,人に会える所ならどこででも宗教について話し合いました。(使徒 17:2,3; 20:20)エホバの証人はその模範に倣おうと努め,人のいる所ならどこへでも出かけ,聖書から論じ合います。

誤解を避ける

イスラエル国民は,約束の地に落ち着いたばかりのころ,祭壇に関する誤解がもとで内戦寸前の事態にまで至りました。ヨルダン川の東に定住した人たちが祭壇を築いたのですが,ほかの諸部族はそれを偽りの崇拝のための祭壇だと考えました。それで,仲間の兄弟たちを懲らしめるために軍事行動を起こす準備をしますが,ここで慎重になりました。攻撃をしかける前にまず,祭壇を築いた理由について尋ねるために代表団を派遣したのです。幸いなことに,その祭壇は,エホバ神のみ前における皆の一致をすべての部族に思い起こさせるための単なる記念碑,つまり「証し」であることが分かりました。話し合いをしたために問題は解決し,多くの人命が救われました。―ヨシュア 22:9-34。

同様に今日でも,誤解が原因で不和,さらには偏見が生じることは少なくありません。例えば,エホバの証人のことを,輸血を拒否するといううわさに基づいて狂信者とみなす人が少数ながらいます。しかし,エホバの証人に個人的に接してその理由を尋ねる人は,証人たちの立場には聖書的な根拠があり,また安全で効果的な代替療法も色々あるということを知って,大いに驚きます。(レビ記 17:13,14。使徒 15:28,29)実際,供給血液に問題があるため,一人のコラムニストは,「エホバの証人が代用血液の研究分野を開拓していることを神に感謝しなければならない」と書きました。

また,エホバの証人はイエス・キリストを信じていないと教えられたために,証人たちと話すのを断わってきた人もいます。何と真実からかけ離れているのでしょう。実際,証人たちは,人間の救いにおけるイエスの役割を強調し,イエスは人間を罪と死から贖うために神が地に遣わした神のみ子であると説明しています。こうした事柄について証人たちと話し合うことによって誤解が解けた人もいます。―マタイ 16:16; 20:28。ヨハネ 3:16; 14:28。ヨハネ第一 4:15。

真理 ― 好まれるか,嫌われるか

多くの人にとって意外かもしれないのは,宗教に関する限り,広く受け入れられている道は一般に,間違った道だということです。イエス・キリストご自身がこう教えています。「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく,それを通って入って行く人は多いからです。一方,命に至る門は狭く,その道は狭められており,それを見いだす人は少ないのです」― マタイ 7:13,14。

ノアの日に霊的真理を語っていたのは,たった8人だけでした。ノアとその妻,3人の息子,そしてその妻たちです。彼らは,警告の音信や箱船を造る業のゆえに,あざけりの的となり,ののしられることさえあったでしょう。それでも,ノアとその家族はおじけづくことなく,引き続き宣べ伝え,造りました。(創世記 6:13,14; 7:21-24。ペテロ第二 2:5)同様に,神の導きに従ってソドムとゴモラの滅びを生き残ったのもわずか3人だけでした。―創世記 19:12-29。ルカ 17:28-30。

わたしたちの時代についてはどうでしょうか。ある家の人はエホバの証人の一人に,「たとえキリストが今,肉の体で戻ってきたとしても,人々はまたキリストを殺すだろう」と言いました。この人は,イエスの教えとその高い道徳規準が,2,000年前と同様に今日でも嫌われると考えたのです。あなたもそう思われますか。

もしそうなら,それは正しいのです。なぜなら,イエスは弟子たちに,「あなた方は,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう」と警告したからです。まさに予言どおりになりました。(マタイ 24:9)ローマにいたユダヤ人の指導者たちは,キリスト教に関して使徒パウロに,「この派について,いたるところで反対が唱えられている」と述べました。(使徒 28:22)キリスト教は嫌われましたが,それでもキリストの追随者たちは自分の信じている事柄を他の人に伝えることをやめませんでした。また,心の正直な人たちも,クリスチャンと話すことをやめませんでした。―使徒 13:43-49。

今日,イエスの音信はかつてなく重要になっています。なぜでしょうか。なぜなら,世界情勢からも分かるように,今はこの体制の「終わりの日」であり,この日は地上から悪行が一掃される時に最高潮を迎えるからです。イエスはこの時代をノアの日になぞらえました。(テモテ第二 3:1-5。マタイ 24:37-39)ですから,今は自分の信じている事柄を当然のものとみなすべき時ではありません。永遠の命は,神を知り,「霊と真理をもって[神を]崇拝」する人にしか与えられないのです。―ヨハネ 4:24。テサロニケ第二 1:6-9。

正しい道筋を知る方法

17世紀の英国の哲学者で,随筆家,法学者,また政治家でもあったフランシス・ベーコンは,真理を探し求める人たちに,「比較検討し,よく考える」よう助言しました。米国の初期の大統領トマス・ジェファーソンは,「過ちを犯さないための唯一の効果的な対策は,推論と自由な探究である。……この二つは,過ちの天敵とも言える」と述べました。ですから,誠実に真理を探し求めているのであれば,「比較検討し,よく考え」,徹底的に「推論と自由な探究」を行なうでしょう。

英国の科学者ハーマン・ボンディ卿は,そのような取り組み方が肝要な理由を明らかにして,次のように述べました。「真の信仰と言えるものは一つしかない以上,人間は,啓示された宗教の分野において,虚偽のものを固く誠実に信じる可能性が極めて高いということになる。この明白な事実があるからには,人はもう少し謙遜になり,信仰がどれほど篤かろうと,ひょっとしたら自分は間違っているかもしれないと考えるようになる,とだれでも期待したであろう」。

では,自分が実際に『命に至る狭められた道』にいるかどうかをどのように見極めることができるでしょうか。イエスは,「真理をもって」神を崇拝しなければならないと教えました。ですから,論理的に言って,もし二つの教えが相反しているなら,両方とも正しいということはありえません。例えば,人間には死後にも生き残る魂があるか,ないかのどちらかです。神は人間の営みに介入されるか,されないかのどちらかであり,神は三位一体であるか,ないかのどちらかです。真理を追い求める人は,そのような重要な質問に対する事実に基づいた答えを求めています。エホバの証人は,神がみ言葉 聖書の中でその答えを与えてくださっていると信じています。a

「聖書全体は神の霊感を受けたもの」ですから,様々な教えの真偽を見分ける主要な方法は,それらを聖書に照らし合わせることです。(テモテ第二 3:16)そうすることによって,「神の善にして受け入れられる完全なご意志を自らわきまえ知る」のです。(ローマ 12:2)あなたは自分の信じている事柄が聖書に根ざしていることを「自らわきまえ知る」ことができますか。それができることは重要です。神は,あなたが「人の住む全地」と共に惑わされることを望んではおられないからです。―啓示 12:9。

教え手は必要か

イエスは,弟子たちに数巻の巻き物を手渡して,「あなた方の質問に対する答えはすべてそこに書かれている。家に帰って自分で見つけなさい」とは言いませんでした。むしろ,辛抱強く親切に,神の言葉を教えました。イエスの教えを受け入れた人々は,今度は自分たちが,他の人々を教える際にイエスの方法に倣いました。弟子フィリポの例を考えてみましょう。フィリポは心の正直なエチオピアの役人に話しかけました。この役人は,以前にユダヤ人と接触していたので聖書をよく知ってはいましたが,助けを必要としていました。それで,クリスチャン会衆を代表していたフィリポは,その役人を助けるよう導かれました。もしこの役人が宗教について話し合うことを嫌がっていたなら,神の目的におけるイエスの役割について学べなかったでしょう。このエチオピア人は,真理を探し求めているすべての人にとって何とすばらしい模範なのでしょう。―使徒 8:26-39。

あなたもこのエチオピア人のように,自分の信じている事柄について進んで話し合い,質問をするでしょうか。そうするなら,必ず多くの益が得られます。エホバの証人は,聖書に書かれている事柄を本当に知りたいと願う人と,喜んで聖書について話し合います。証人たちは,自分の個人的な意見を述べるのではなく,聖書そのものに書かれている事柄を示すように努めます。

エチオピアの役人は,神がわたしたちの救いに関連してイエスをどのように用いるかなど,イエス・キリストについて注目すべき事柄を学びました。今日,神の目的が達成されてゆく過程はいよいよ完了の時に近づいています。畏怖の念を起こさせる,驚くべき事柄がこの地上で間もなく起ころうとしています。続く記事では,地上のすべての人が影響を受けるということが示されます。もちろん,わたしたちがどのような影響を受けるかは,自分の態度と行動によって決まります。

[脚注]

a 聖書が神の言葉であることの証拠については,ものみの塔聖書冊子協会発行の「聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?」と題する本をご覧ください。

[7ページの図版]

エチオピアの役人は聖書に基づく話し合いに喜んで応じた

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