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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1991
塔91 12/1 15–20ページ

生き残るために清い宗教を実践する

「父なる神から見て清く純粋な宗教は……自分自身を世に汚されない状態に保つというような事柄によって明示されるでしょう」― ヤコブ 1:27,フィリップス訳。

1 宗教はどのように定義されてきましたか。論理的に言って,偽りの宗教と真の宗教の相違を定める権利を持つのはだれですか。

宗教は「宇宙の創造者,ならびに統治者として認められる超人的な権力者に対して人間の抱く信仰や畏敬の念の表現」と定義されてきました。では,論理的に言って,真の宗教と偽りの宗教の相違を定める権利を持つのはだれでしょうか。確かにそれは,信仰され畏敬される方,つまり創造者であるに違いありません。エホバはみ言葉の中で,真の宗教と偽りの宗教に関するご自分の見解のあらましを明確に示しておられます。

聖書における「宗教」という語

2 「崇拝の方式」もしくは「宗教」と訳されている元のギリシャ語について,辞典はどのように説明していますか。その語をどんな種類の崇拝に適用することができますか。

2 「崇拝の方式」もしくは「宗教」と訳されているギリシャ語はトレースケイアです。「新約聖書希英辞典」はこの語を,「特に宗教的な奉仕または儀式において表わされる神の崇拝もしくは宗教」と定義しています。「新約聖書神学辞典」はさらに詳しくこう述べています。「語源については議論がある。……現代の学者たちはテラプ(『仕える』)とのつながりを支持している。……意味上の区別にも注目できる。良い意味では『宗教的な熱意』……,『神の崇拝』,『宗教』である。……しかし悪い意味もある。すなわち,『宗教的な行き過ぎ』,『間違った崇拝』である」。このようにトレースケイアは,良いものであれ悪いものであれ「宗教」もしくは「崇拝の方式」と訳すことができます。

3 「崇拝の方式」と訳されている語を使徒パウロはどのように用いましたか。コロサイ 2章18節の翻訳についてどんな興味深い注解が述べられていますか。

3 この語はクリスチャン・ギリシャ語聖書の中に4回だけ出てきます。使徒パウロは偽りの宗教を指すのにこの語を2回用いました。使徒 26章5節には,パウロが,クリスチャンとなる前の『自分は自分たちの崇拝方式[「宗教」,フィリップス訳]のうちで最も厳格な派にしたがい,パリサイ人として生活していた』と述べたことが記録されています。彼はコロサイ人への手紙の中で,「あなた方は,見せかけの謙遜やみ使いたちをあがめる崇拝の方式を喜びと(す)る者に賞を奪い取られてはなりません」と警告しました。(コロサイ 2:18)そのようなみ使いの崇拝は当時のフリギアに広まっていたようですが,それは偽りの宗教の一つの形態でした。a 興味深いことに,コロサイ 2章18節のトレースケイアを「宗教」と訳している聖書翻訳者もいますが,聖書翻訳者の大多数は「崇拝」という語を用いています。新世界訳は一貫してトレースケイアを「崇拝(の)方式」と訳しており,参照資料付き聖書の脚注はその都度,ラテン語訳では代わりに「宗教」という訳が用いられていることを述べています。

神から見て『清く,汚れがない』

4,5 (イ)ヤコブによると,最も重要なのは宗教に関するだれの見解ですか。(ロ)どんな事柄は,人の崇拝の方式を無益なものにしかねませんか。『無益な』と訳されている語にはどんな意味がありますか。

4 トレースケイアはそのほかに2箇所,1世紀のクリスチャン会衆の統治体の成員であった弟子ヤコブが書いた手紙の中に出てきます。ヤコブはこう書きました。「自分では正しい方式に従う崇拝者である[「『宗教的』である」,フィリップス訳]と思っていても,自分の舌にくつわをかけず,自らの心を欺いている人がいれば,その人の崇拝の方式[「宗教」,フィリップス訳]は無益です。わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式[「宗教」,フィリップス訳]はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです」― ヤコブ 1:26,27。

5 そうです,エホバの是認を得て生き残り,エホバが約束された新しい世に入りたいなら,宗教に関するエホバの見解を認めることが肝要です。(ペテロ第二 3:13)ヤコブは,人が自分では本当に宗教的だと思っていても,その人の崇拝の方式が無益なものとなり得ることを示しています。ここで『無益な』と訳されているギリシャ語には,「無駄な,空虚な,実を結ばない,役に立たない,力がない,真実さに乏しい」といった意味もあります。クリスチャンであると唱える人が自分の舌にくつわをかけず,神を賛美したり仲間のクリスチャンを築き上げたりするために舌を用いない場合がそうでしょう。その人は「自らの心を欺いている」のであり,「神から見て清く純粋な宗教」(フィリップス訳)を実践してはいません。大切なのはエホバの観点なのです。

6 (イ)ヤコブによる手紙の主題は何ですか。(ロ)ヤコブは清い崇拝に関して,どんな必要条件を強調しましたか。この点に関して,現代の統治体はどんなことを述べていますか。

6 ヤコブは清い崇拝に関連してエホバが要求しておられる事柄すべてを列挙してはいません。ヤコブの手紙は,業によって実証される信仰と,サタンの世との交友から離れている必要性を全体の主題としていますが,ヤコブはこの主題と一致して,二つの必要条件だけを強調しています。その一つは,「孤児ややもめをその患難のときに世話すること」です。このことは真のクリスチャン愛と関係があります。エホバは常に孤児ややもめに愛ある関心を示してこられました。(申命記 10:17,18。マラキ 3:5)1世紀のクリスチャン会衆の統治体が最初に行なった事柄の一つは,クリスチャンのやもめたちのための活動でした。(使徒 6:1-6)使徒パウロは,忠実であることを長年にわたって実証してきた,助けてくれる家族がいない窮苦にある年取ったやもめに愛ある世話を差し伸べるための詳細な指示を与えました。(テモテ第一 5:3-16)同様に現代のエホバの証人の統治体も「貧しい人々を顧みる」ことに関して明確な指示を与え,「真の崇拝は,物質面での援助が必要になる,忠実で忠節な人々の世話をすることをも含んでいます」と述べています。(「わたしたちの奉仕の務めを果たすための組織」という本の122,123ページをご覧ください。)この点で無頓着なことを示している長老団や個々のクリスチャンは,わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式の重要な面の一つを忘れているのです。

「世から汚点のない状態」

7,8 (イ)ヤコブは真の宗教に関して,どんな二つ目の必要条件を述べましたか。(ロ)僧職者や司祭たちはこの必要条件にかなっていますか。(ハ)エホバの証人については何と言えますか。

7 ヤコブが述べた真の宗教の二つ目の必要条件は,「自分を世から汚点のない状態に保つこと」でした。イエスは,「わたしの王国はこの世のものではありません」と述べ,それと調和して,ご自分の真の追随者たちは『世のものではない』と言われました。(ヨハネ 15:19; 18:36)この世のいずれかの宗教の僧職者や司祭たちについてそう言うことができるでしょうか。それらの宗教は国連を支持しています。そのような宗教の指導者の多くは法王の招きに応じ,国連が提唱した“国際平和年”の成功に向けて一致した祈りをささげるため,1986年10月にイタリアのアッシジに集まりました。しかし,その年以降に行なわれた戦いで何百万人もの人が殺されたことからすると,彼らの努力は無駄でした。僧職者が与党と親しく付き合う一方で,だれであれ支配者から「友」とみなしてもらえるよう,不実にも野党と秘密の取り引きをするということも少なくありません。―ヤコブ 4:4。

8 エホバの証人は,政治問題においてもこの世の紛争においても中立を保つクリスチャンとしての評判を築いてきました。世界のあらゆる場所の新聞報道や現代史の記録が証言しているように,エホバの証人はすべての大陸,すべての国でそのような態度を堅持しています。彼らは本当に「世から汚点のない状態」を保っています。エホバの証人の宗教は「神から見て清く純粋な宗教」です。―ヤコブ 1:27,フィリップス訳。

真の宗教の他の特徴

9 真の宗教の三つ目の必要条件は何ですか。それはなぜですか。

9 宗教が『宇宙の創造者,ならびに統治者として認められる超人的な権力者に対する畏敬の念』であるのなら,真の宗教は確かに,崇拝を唯一まことの神エホバに向けなければなりません。真の宗教は,父なる神が自分の全能性や栄光や永遠性を神秘的な三位一体の他の二つの位格と分け合う三者一体の神のような異教の概念を教えることによって,人々の理解を曇らせるものであってはなりません。(申命記 6:4。コリント第一 8:6)さらに真の宗教は,エホバという比類のない神のみ名を知らせ,そのみ名を尊び,組織された民として実際に神のみ名を負わなければなりません。(詩編 83:18。使徒 15:14)この点で,真の宗教の実践者たちはキリスト・イエスの模範に従うべきです。(ヨハネ 17:6)今日,エホバのクリスチャン証人以外のどんな人々がこの必要条件にかなっているでしょうか。

10 神の新しい世へ生き残ることを提唱する宗教であるためには,その宗教は何をしなければなりませんか。それはなぜですか。

10 使徒ペテロは,「さらに,ほかのだれにも救いはありません。人々の間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名[イエス・キリスト]は,天の下にほかにないからです」と述べました。(使徒 4:8-12)ですから,神の新しい世へ生き残ることを提唱する清い宗教は,キリストと贖いの犠牲の価値に対する信仰を鼓舞するものでなければなりません。(ヨハネ 3:16,36; 17:3。エフェソス 1:7)さらに清い宗教は,エホバに属する統治する王また油そそがれた大祭司としてのキリストに服するよう真の崇拝者たちを助けなければなりません。―詩編 2:6-8。フィリピ 2:9-11。ヘブライ 4:14,15。

11 真の宗教は何に基づいているべきですか。この点で,エホバの証人はどのような態度をとっていますか。

11 清い宗教は,啓示された唯一まことの神のご意志に基づいているべきであり,人間が作った伝統や哲学に基づいていてはなりません。もし聖書がなかったなら,わたしたちはエホバとそのすばらしい目的のことも,イエスと贖いの犠牲のことも知らなかったでしょう。エホバの証人は聖書に対する揺るぎない確信を人々に教え込んでいます。さらに彼らは,使徒パウロの次の言葉に同意していることを日々の生活によって実証します。「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正(す)のに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」― テモテ第二 3:16,17。

真の宗教 ― それは一つの生き方

12 真の崇拝であるためには,信仰のほかに何が必要ですか。真の宗教はどんな点で一つの生き方ですか。

12 イエスは,「神は霊であられるので,神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません」と断言されました。(ヨハネ 4:24)ですから,真の宗教つまり崇拝の方式は,儀式や式典によって上辺だけの敬虔さを示すことではありません。清い崇拝は霊的であり,信仰に基づくものです。(ヘブライ 11:6)とはいえ,そのような信仰には業による裏づけが必要です。(ヤコブ 2:17)真の宗教は流行に左右されません。道徳や清い話に関する聖書の規準に堅くつき従います。(コリント第一 6:9,10。エフェソス 5:3-5)真の宗教の実践者は家族生活,世俗の仕事,また学校において,さらにはレクリエーションの時にも神の霊の実を生み出すよう誠実に努力します。(ガラテア 5:22,23)エホバの証人は,「ですから,あなた方は,食べるにしても,飲むにしても,あるいはほかのどんなことをするにしても,すべての事を神の栄光のためにしなさい」という使徒パウロの諭しを決して忘れないようにします。(コリント第一 10:31)彼らの宗教は単なる形式主義ではなく,一つの生き方になっています。

13 真の崇拝には何が含まれますか。エホバの証人が真に宗教的な人々であると言えるのはなぜですか。

13 もちろん,真の宗教には霊的な活動が含まれます。霊的な活動の中には,個人的な祈りと家族の祈り,神の言葉と聖書研究の手引き書の定期的な研究,真のクリスチャン会衆の集会への出席が含まれます。そのような集会はエホバを賛美する歌と祈りをもって始められ,また終えられます。(マタイ 26:30。エフェソス 5:19)演壇からの話と,だれでも入手できる印刷された資料を質問と答えで討議することにより,築き上げる霊的な論題が検討されます。そのような集会はたいてい,小ぎれいではあっても過度な装飾のない王国会館で開かれます。王国会館はもっぱら通常の集会,結婚式,記念式などの宗教的な目的のために用いられます。エホバの証人は自分たちの王国会館やより大きな大会ホールを,エホバの崇拝に献堂された場所として尊重します。キリスト教世界の多くの教会とは違い,王国会館は社交クラブではありません。

14 ヘブライ語を話す人々にとって崇拝は何を意味しましたか。今日のエホバの証人を他と異ならせているのはどんな活動ですか。

14 記事の冒頭で,学者たちが「崇拝の方式」または「宗教」と訳されるギリシャ語を「仕える」という動詞と結びつけていることを学びました。興味深いことに,それに相当するアヴォーダーというヘブライ語は「奉仕」または「崇拝」と訳すことができます。(出エジプト記 3:12の脚注および10:26の脚注と比較してください。)ヘブライ人にとって崇拝は奉仕を意味しました。そのことは,今日の真の崇拝者たちにとっても同じです。真の宗教に特有の非常に重要な特徴は,その宗教の実践者たちすべてが「王国のこの良いたより(を),あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で」宣べ伝える敬虔な奉仕にあずかるということです。(マタイ 24:14。使徒 1:8; 5:42)人類の唯一の希望としての神の王国に関する公の証言で世界的に知られているのはどの宗教でしょうか。

積極的な一致させる力

15 真の宗教の際立った特徴は何ですか。

15 偽りの宗教は分裂します。そのために憎しみと流血が引き起こされてきましたし,今もそれは変わりません。それに反して真の宗教は一致します。イエスは,「あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」と言われました。(ヨハネ 13:35)エホバの証人を一致させている愛は,人類の残りの部分を分裂させている国家的,社会的,経済的,人種的な境界を超越しています。証人たちは「一つの霊のうちにしっかりと立ち,一つの魂をもって良いたよりの信仰のために相並んで奮闘」しています。―フィリピ 1:27。

16 (イ)エホバの証人はどんな「良いたより」を宣べ伝えますか。(ロ)どんな預言がエホバの民に成就していますか。それに伴ってどんな祝福がもたらされてきましたか。

16 エホバの証人が宣べ伝える「良いたより」は,神の不変の目的が間もなく成し遂げられるというたよりです。神のご意志は,「天におけると同じように,地上においても」行なわれようとしています。(マタイ 6:10)エホバの輝かしいみ名は神聖なものとされ,地は楽園になり,真の崇拝者たちはその楽園で永遠に生きることができます。(詩編 37:29)あらゆる国や地域の文字通り幾百万もの人々が,聖書預言の成就として,「わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです」と言い,エホバの証人と交わっています。(ゼカリヤ 8:23)エホバはご自分の民を祝福しておられます。「小さな者」がまさに「強大な国民」,つまり考えや業や崇拝などすべての点で全く一致した世界的な会衆になったのです。(イザヤ 60:22)これはどんな偽りの宗教も決して成し遂げられなかった事柄です。

清い宗教の勝利

17 大いなるバビロンには何が待ち受けていますか。それはどのように生じますか。

17 神の言葉は,「大いなるバビロン」と象徴的に呼ばれる偽りの宗教の世界帝国の滅びを予告していました。さらに聖書は,地の「王」つまり政治支配者たちを表わすのに,野獣の角という象徴を用いています。聖書が述べるところによれば,神はそれら支配者たちの心の中に,悪魔サタンのこの娼婦のような機構を覆して完全に滅ぼす決意を入れられます。―啓示 17:1,2,5,6,12,13,15-18をご覧ください。b

18 聖書は大いなるバビロンが滅ぼされるべきどんな重大な理由を示していますか。偽りの宗教がこの恐るべき歩みを始めたのはいつですか。

18 大いなるバビロンが滅びに値するのはなぜですか。聖書は,「彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされたのである」と答えています。(啓示 18:24)イエスは,「蛇よ,まむしらの子孫よ,どうしてあなた方はゲヘナの裁きを逃れられるでしょうか。……義なるアベルの血から……地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです」と述べ,偽りの宗教の負っているこの血の罪がバビロンの創設よりもさらに昔にさかのぼることを示し,大いなるバビロンに属するユダヤ教の宗教指導者たちを罪に定められました。(マタイ 23:33-35)そうです,エデンでの反逆の時に地上で始まった偽りの宗教は,恐るべき血の罪の申し開きをしなければならないのです。

19,20 (イ)大いなるバビロンに裁きが執行された後,真の崇拝者たちは何を行ないますか。(ロ)その後,どんなことが起きますか。真の崇拝者すべての前にはどんな見込みが開かれますか。

19 大いなるバビロンの滅びの後,地上の真の崇拝者たちは,次のように大声で叫ぶ天の合唱隊の声に加わります。「あなた方はヤハを賛美せよ!……神は……大娼婦に裁きを執行し,ご自分の奴隷たちの血の復しゅうを彼女の手に対して行なわれた。……そして,彼女から出る煙は限りなく永久に上りつづけるのである」― 啓示 19:1-3。

20 その後,サタンの目に見える組織の他の構成要素が滅ぼされます。(啓示 19:17-21)それから,あらゆる偽りの宗教の創始者であるサタンと配下の悪霊たちが底知れぬ深みに投げ込まれます。彼らはもはやエホバの真の崇拝者を自由に迫害できなくなります。(啓示 20:1-3)清い宗教は偽りの宗教に対して勝利を収めているでしょう。大いなるバビロンから今逃れるようにという神の警告に注意を払う忠実な男女は,生き残って神の新しい世に入る機会を得ます。彼らはその新しい世で永遠にわたって真の宗教を実践し,エホバに敬虔に仕えることができるのです。

[脚注]

a コロサイ 2章18節で言及されているみ使いの崇拝に関する説明については,「ものみの塔」誌,1985年7月15日号,12,13ページをご覧ください。

b この預言に関する詳しい説明については,ものみの塔聖書冊子協会発行の「啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!」と題する本の33章から36章をご覧ください。

記憶を試してみましょう

□ 最も重要なのは宗教に関するだれの見解ですか。それはなぜですか

□ ヤコブは真の宗教に関して,どんな二つの必要条件を強調しましたか

□ 清い崇拝の他の必要条件は何ですか

□ エホバの証人はどんな「良いたより」を宣べ伝えていますか

□ 真の宗教は偽りの宗教に対してどのように勝利を収めますか

[17ページの図版]

1986年10月,宗教指導者たちはイタリアのアッシジに集まった

[19ページの図版]

真の宗教には崇拝のために集まり合うことが含まれる

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