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  • 人はなぜ神を賛美すべきですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1997
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1997
塔97 1/1 3–5ページ

人はなぜ神を賛美すべきですか

ハレルヤ! この言葉はキリスト教世界のほとんどの教会員によく知られています。日曜礼拝のときに大声でこの言葉を叫ぶ人たちもいます。しかし,その言葉の本当の意味を知っている人はどれほどいるでしょうか。実際のところ,それは「ヤハを賛美せよ」という意味のヘブライ語です。エホバという名を持たれる創造者を歓呼して力強くほめたたえる言葉です。a

「ハレルヤ」という語は聖書に頻繁に出てきます。なぜでしょうか。神を賛美すべき理由はとても多いからです。ヤハ(エホバ)は,広大な宇宙を創造し,また支えておられる方です。(詩編 147:4,5; 148:3-6)神は,地球上での生物の生存を可能にする生態系を編み出されました。(詩編 147:8,9; 148:7-10)しかも,人間には特別な関心を払っておられます。神のご意志を行なうなら,神は今の生活において祝福と支えを与え,来たるべきより良い生活の確かな希望を与えてくださいます。(詩編 148:11-14)「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」と霊感によって記させたのはヤハ(エホバ)です。―詩編 37:29。

ですから,「ハレルヤ」,「あなた方はヤハを賛美せよ」と勧められているのはすべての人です。(詩編 104:35; 脚注)しかし,不幸にして,だれもがそれにこたえたいという気持ちになるわけではありません。今日,人々は苦しんでいます。多くの人は,飢えや病気や虐げを経験しています。麻薬やアルコールの乱用のため,あるいは不道徳な行為や反抗の結果として,深い悲しみに耐えている人は大勢います。そのような人でも神を賛美すべき理由があるのでしょうか。

『私に希望を与えることができたのはエホバだけです』

確かにあります。エホバのことを知り,そのご意志を行なうことを学び,神を賛美したくなるような祝福を享受するよう,エホバは例外なくすべての人に勧めておられます。そして,多くの人がこたえ応じています。例えば,グアテマラのアドリアーナがそうです。アドリアーナは7歳のときに母親を亡くしました。それから間もなく父親が家を出て行ってしまいました。10歳になると,働いて生計を立てるようになりました。母親から,神に仕え,教会のために奉仕しなさいと言われていたため,カトリック系のいろいろな団体に入って活動しました。しかし,12歳のころにはすでに幻滅を感じて不良グループに加わり,たばこや麻薬や盗みに手を染めるようになっていました。このような少女が神を賛美したいという気持ちになったのはなぜでしょうか。

アドリアーナの姉妹の一人はエホバの証人と聖書研究を始めましたが,アドリアーナは彼女のすることをせせら笑っていました。そんなときに,この二人のおばに当たる人が亡くなりました。アドリアーナは,おばの葬式の際,幾つかの気がかりな疑問に悩まされました。おばはどこに行ってしまったのだろう。天にいるのだろうか。火の燃える地獄に行ったのだろうか。どうしても疑問が解けないので,共同墓地の礼拝室に行き,自分の姉妹から教わったとおり,神の名エホバを用いて助けを祈り求めました。

やがて,アドリアーナはエホバの証人と聖書を研究し,証人たちのクリスチャンの集会に出席するようになりました。これによってアドリアーナの人生観は一変し,彼女は勇気を振るって不良グループとの関係を絶ちました。いま20代半ばのアドリアーナは言います。「そういう悪い生き方を私に捨てさせることができたのは,エホバへの愛だけでした。豊かな憐れみによって私に永遠の命の希望を与えることができたのはエホバだけです」。アドリアーナは,人生を歩みはじめたころにつらい経験をしたとはいえ,神を賛美するすばらしい理由を持っています。

ウクライナからの報告は,望みを抱くことがもっと難しい状況について述べています。ある男性は刑務所の中で死刑の執行を待っています。その人は自己れんびんに陥っているでしょうか。意気消沈しているでしょうか。そうではなく,その反対です。この人は少し前に,エホバの証人との接触を通じてエホバについての知識をある程度得たので,自分の母親と連絡を取ってほしいと証人たちに頼みました。自分が頼んだことを証人たちがしてくれたと聞いて,この人は証人たちに手紙を書き,こう伝えました。「母に会いに行ってくださってありがとうございました。それは昨年受け取った一番うれしい知らせでした」。

その人は,自分と,自分が証言した同房者たちについて,「今では私たちは神を信じており,その信仰にかなった行動を取るよう心がけています」と書いています。そして,結びにこう述べています。「愛の何たるかを知るように,また信仰を持てるように助けてくださったことを感謝しています。もし生きつづけるなら,皆さんの力になりたいと思います。皆さんのような方がいて,神を愛し,神を信じるよう他の人を助けておられるのは,ありがたいことです」。この人は,死刑判決に対して上訴しました。しかし,刑を執行されるにせよ,長期にわたって服役するにせよ,明らかに神を賛美すべき理由を持っています。

『目が見えないのに,見えるのです』

次に,突如視力を失う,活発な十代の若い女性のことを考えてみましょう。アルゼンチンに住むグローリャの身にこのことが生じました。グローリャは19歳のときに突如失明し,視力はそれきり回復しませんでした。29歳のとき,ある男性と内縁関係に入り,やがて妊娠しました。彼女は,これで自分も生きがいを見いだしたと思いました。ところが,子供を亡くしたとき,いろいろな疑問がわいてきました。『なぜ私がこんな目に遭わないといけないの。私が何をしたというのかしら。神は本当にいるのかしら』と考えました。

そのころ,二人のエホバの証人がグローリャの家を訪れました。グローリャは聖書研究を始め,新しい世では,目の見えない人が視力を取り戻すということが聖書に約束されていることを知りました。(イザヤ 35:5)グローリャにとって,なんとすばらしい見込みでしょう。グローリャはとても幸せでした。正式に婚姻を届け出ることを夫が承諾してくれたときは,特にそうでした。その後,夫が事故に遭って体が不自由になり,車いすの生活になりました。今は,目の見えないグローリャが,一生懸命に働いて生計を立てなければなりません。そのうえ,家事をすべてこなし,夫の世話もします。それでもグローリャはエホバを賛美しています。クリスチャンの兄弟姉妹の助けを借りて,点字の聖書を研究し,王国会館で行なわれるクリスチャンの集会から大きな励みを得ています。グローリャは言います。「うまく言えないんですが,目が見えないのに,見えているような気がします」。

人々は神を賛美するときに迫害を受けることがあります。クロアチアのある女性は,神について学んで喜びました。しかし,彼女の夫は,この女性が新たに見いだした信仰に反対して彼女を追い出し,1歳の娘を自分の側に取りました。この女性は夫や家族から見放され,家も仕事もなく,我が子さえもいなくなって路頭に迷い,初めは打ちひしがれていました。娘が大きくなるまで,娘との接触はごく限られてはいましたが,神への愛が彼女を支えました。「価の高い真珠」を見つけたので,それを手放すつもりはなかったのです。(マタイ 13:45,46)そうした困難な時期を通じてどのように喜びを保ったのでしょうか。その女性はこう言います。「喜びは神の霊の実です。外の状況に左右されずに培えるものです。それはちょうど,外の天気がどうなっていても,温室の中の植物が生長していけるのと同じです」。

フィンランドに住む6歳のマーカスは,不治の筋肉の病にかかっていると診断されました。やがて車いすの生活になりました。数年後,母親はマーカスをあるペンテコステ派の人のところに連れて行きました。その人は病人をいやすという触れ込みで世間から注目されていた人でした。しかし,奇跡によるいやしは起きませんでした。そのため,マーカスは神への関心を失い,科学や他の一般の分野における研究に心を向けました。その後,今から5年ほど前に,車いすに乗った一人の女性が,付き添いの若い男性と共にマーカスの住む家にやって来ました。二人はエホバの証人でした。そのころマーカスは無神論者になっていましたが,宗教の話をすることに異存はなく,二人を中に通しました。

後日,ある夫婦がマーカスを訪ね,聖書研究が始まりました。やがて,聖書の真理の力でマーカスの見方は変わり,障害を抱えていても神を賛美すべき理由は確かにある,ということを悟りました。マーカスは言いました。「真理と,エホバが用いておられる組織とを見いだしたので,本当に幸せです。今の私の生活には目標と意味があります。失われた羊がまた一人見つかりました。その羊はエホバの群れを離れたくないと思っています」。―マタイ 10:6と比較してください。

すべてのものは「ヤハを賛美せよ」

現代の人々も,どんな境遇にあろうと神を賛美する理由を持てるということを例証する体験談は無数にあり,以上の例はそのうちのほんの一部にすぎません。使徒パウロは,そのことをこう説明しています。「敬虔な専心はすべての事に益があ(りま)す。それは,今の命と来たるべき命との約束を保つのです」。(テモテ第一 4:8)わたしたちが神のご意志を行なうなら,神は「今の命……の約束」を果たしてくださいます。もちろん,この事物の体制において,神は貧しい人を裕福にしたり,病気の人を健康にしたりはされません。それでも神は,ご自分に仕える人たちがどんな外的状況のもとでも喜びや満足感を見いだせるよう,彼らにご自分の霊をお与えになります。確かに「今の命」においてさえ,病気の人,虐げられている人,貧しい人も神を賛美する理由を持つことができます。

ところで,「来たるべき命」についてはどうでしょうか。その命は,考えるだけでも,最高に熱意を込めて神を賛美したいという気持ちにさせるはずです。貧困というものが知られなくなり,「『わたしは病気だ』と言う居住者」がいなくなるとき,またエホバ神が「彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」と言えるときのことを考えると,胸の躍る思いがします。(イザヤ 33:24。啓示 21:3,4。詩編 72:16)あなたは,神のこれらの約束をどのように受け止めていますか。

エルサルバドルのある青年は,こうした事柄を解説した聖書関係のパンフレットを受け取りました。その人は,パンフレットを手渡したエホバの証人に,「奥さん,このパンフレットに書いてあることはあまりにも良すぎて本当とは思えません」と言いました。多くの人は,そのように反応します。しかし,これらの約束は,宇宙を創造し,地球上の自然の循環を開始させ,喜びを見いだすよう貧しい人や病気の人をさえ助けておられる方の約束です。そのような方の述べる事柄は,信じることができます。前述の青年は,エホバの証人と聖書を研究して,そのことを知りました。もしあなたがまだ研究しておられないのであれば,研究を始めるようお勧めいたします。そのようにして,現在のこの事物の体制が過ぎ去った後,すべての創造物が「ハレルヤ!」,「あなた方はヤハを賛美せよ!」と叫ぶとき,あなたもそこにおられますように。―詩編 112:1; 135:1。

[脚注]

a 聖書では,「エホバ」が「ヤハ」と省略されることがあります。

[5ページの図版]

すべての創造物が「ハレルヤ!」と叫ぶとき,あなたもそこにおられますように

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