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怠惰聖書に対する洞察,第2巻
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クリスチャン会衆においてどのようにみなされるか 初期のクリスチャン会衆では,困窮している人たち,特にやもめたちに物質的な助けを与えるための取り決めが設けられていました。若いやもめたちの中には,やもめとしての自由を用いてクリスチャン宣教に熱心に携わりたいと言った人たちがいたようです。(コリ一 7:34と比較。)物質的な援助を与えられた人たちもいたものと思われます。しかし,彼女たちはそのようにして得られたより大きな自由と余分の時間を正しく用いないで,怠惰になり,何もせずにぶらつき回るようになりました。うわさ話をしたり,人の事に手出ししたりする者となって,話すべきでないことを話しました。このため,使徒パウロは監督であったテモテに,そのような人たちは援助のための名簿に載せるのではなく,結婚させて,子供を育てたり家庭を預かったりすることに自分の精力や能力を用いさせるようにとの指示を与えました。―テモ一 5:9-16。
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結婚聖書に対する洞察,第1巻
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パウロの助言によれば,比較的若いやもめがクリスチャンの奉仕活動に専念したい意向を表わしたからといって,それだけでそのやもめを会衆の世話になるやもめの名簿に載せるべきではありませんでした。そのようなやもめは再婚するほうが勝っていました。というのは,同使徒によれば,そのようなやもめは性的な衝動にかられて自らの信仰の表明に反する歩み方をするようになるかもしれないからです。つまり,一生懸命に働く人として会衆から財政的な支援を受けながら,同時に夫を得ようとしたり,何もしないで人の事に手出ししたりする者になるかもしれないということです。そうなれば,彼女たちは不利な裁きを身に招くことになります。しかし,結婚して子供を産み,家庭をあずかり,さらにクリスチャンの信仰をも維持するようにすれば,そのような事柄に余念なくあずかる効果があり,うわさ話をしたり,話すべきでない事を話したりせずにすんだことでしょう。そうすれば,会衆は本当にやもめである人たちで,そのような人として援助を受ける資格のあるやもめを助けることができたでしょう。―テモ一 5:9-16; 2:15。
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