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  • 目ざめよ! 2004
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目ざめよ! 2004
目04 4/22 9–12ページ

真の希望をどこに見いだせますか

腕時計が止まっています。壊れたようです。直そうと思いますが,修理に出せる所はいろいろあります。街には時計修理の看板があちこちにあります。どれも安心を保証し,“いちばん安心”というのが幾つも見られます。しかし,近所に住む人が何年か前にまさにその時計を設計した人であることが分かったとすれば,どうでしょうか。しかも,喜んで無料で直したいと申し出てくれているなら,どうですか。だれに依頼すればよいかは明らかではないでしょうか。

では,その時計を,希望を抱くという能力と置き換えてみてください。もしあなたが,問題の多いこの時代に生きる多くの人のように希望を失っているとしたら,どこに助けを求めることができるでしょうか。問題を解決できると言う人は少なくありませんが,そうした人たちの数多くのアドバイスは分かりにくくて矛盾していることもあります。では最初から,人間に希望を抱く能力を与えた創造者に助けを求めるのはどうでしょうか。聖書の述べるとおり,その方は『わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではなく』,助けになることは何でも行なおうと思っておられます。―使徒 17:27。ペテロ第一 5:7。

希望のより深い定義

聖書中の希望という概念は,今日の医師,科学者,心理学者が一般に考えているものより広範で,意味の深いものです。聖書の中で「希望」と訳されている原語の言葉には,切に待ち望む,良いことを期待するという意味があります。希望は基本的に二つの要素から成っています。何か良いことに対する願いと,それが実現することを信じる根拠が関係しているのです。聖書の差し伸べる希望は,単なる非現実的な願いではありません。それには,事実と証拠という確かな根拠があります。

この点で,希望は信仰に似ています。信仰は証拠に基づいていなければならず,何かを簡単に信じることではありません。(ヘブライ 11:1)それでも,聖書は信仰と希望を区別しています。―コリント第一 13:13。

例えで考えましょう。仲の良い友人に頼み事をする時,あなたはその友人が助けてくれることを望む,つまり希望するでしょう。その希望には根拠があります。あなたは友人のことをよく知っていますし,これまでも親切に気前よく行動してくれるのを見てきました。ですから,今度も助けてくれると信じている,つまりある意味で信仰を持っています。あなたの信仰と希望は密接に関連し,互いに依存してもいます。しかし,それらは同じものではありません。では,どうすれば神に対してそのような希望を抱けるでしょうか。

希望の根拠

神は真の希望の源です。実際,聖書時代にエホバは「イスラエルの望みである方」と呼ばれました。(エレミヤ 14:8)イスラエル人にとって,信頼できる希望はすべてエホバから来ていました。それゆえ,エホバは確かにイスラエルの望みでした。その希望は,単なる願いと同じではありませんでした。神は希望を抱く確かな根拠をお与えになりました。何世紀にもわたってイスラエルと交渉を持ち,物事を約束どおりに果たすという実績を築いてこられたのです。イスラエルの指導者ヨシュアは民にこう言いました。「あなた方は……知っているはずです。すなわち,あなた方の神エホバの話されたすべての良い言葉は,その一言といえ果たされなかったものはありません」。―ヨシュア 23:14。

それから数千年たった今も,その実績は失われていません。聖書には,数々のすばらしい約束と,それが成就したことを示す正確な歴史の記録が収められています。神の預言的な約束は非常に信頼できるため,語られた時点で,すでに成就したかのように記録されていることもあります。

そのようなわけで,聖書は希望の書であると言えるのです。神が人間を扱われた方法に関する記録を学ぶにつれ,神に希望を置くべき理由はますます強くなってゆくでしょう。使徒パウロはこう書いています。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。―ローマ 15:4。

神はどんな希望を与えておられるか

人がいちばん希望を必要とするのはどんな時でしょうか。それは,死に直面した時ではないでしょうか。しかし多くの人にとって,まさにそのような時 ― 例えば愛する人を亡くした時 ― には,希望がきわめてはかないものに思えるでしょう。結局のところ,死以上に絶望的なことがあるでしょうか。死はすべての人を容赦なく追いかけます。わたしたちは,死をほんのしばらく避けることはできても,それを逆転させる力はありません。ですから,聖書が死を「最後の敵」と呼んでいるのは,いかにも適切なことです。―コリント第一 15:26。

では,死に直面した時,どのように希望を見いだせるでしょうか。死を最後の敵と呼んだ聖句は,その敵が「無に帰せしめられ(る)」とも記しています。エホバ神は死よりも強力です。そのことを何度も実証してこられました。どのようにでしょうか。死者を復活させることによってです。聖書には,神がご自分の力を用いて死者を生き返らせた,九つの異なる事例が記されています。

その際立った例として,エホバはみ子イエスに力を与え,死後4日たっていた親しい友のラザロを復活させました。イエスはその奇跡を,ひそかにではなく,人々が見ている前で行なわれました。―ヨハネ 11:38-48,53; 12:9,10。

しかし,『どうしてその人たちは復活したのだろう? 結局は年を取り,また死んでしまったのではないか』と思われるかもしれません。確かにそうです。しかし,復活に関するこうした信頼できる記述があるので,亡くなった愛する人が再び生きることをただ願うだけでなく,それを信じる根拠を持つことができます。つまり,真の希望を持てるのです。

「わたしは復活であり,命です」と,イエスは言われました。(ヨハネ 11:25)イエスは,エホバから力を受けて,全地球的な規模で復活の奇跡を行なわれる方です。こう述べておられます。「記念の墓の中にいる者がみな,[キリスト]の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです」。(ヨハネ 5:28)そうです,墓に眠っている人は皆,復活して地上のパラダイスで生きる見込みがあるのです。

預言者イザヤはその感動的な復活の情景をこう描いています。「汝の死者は生き,その体はまた起き上がらん。地に眠る者らは目覚めて,喜び叫ぶべし。そは,汝の露はきらめく光の露,地は,死にて久しき者らを再び生まれさするべければなり」。―イザヤ 26:19,「新英訳聖書」(英語)。

これは慰めとなるのではないでしょうか。亡くなった人たちは,母親の胎内で保護される子どものように,想像し得る最も安全な状態にあります。墓の中で休むその人たちは,全能者なる神の無限の記憶の中に完全に留められています。(ルカ 20:37,38)そして,間もなく生き返り,ちょうど新生児が,誕生を今か今かと待っていた愛情深い家族に迎えられるように,幸福な温かい世界へと迎え入れられることでしょう。ですから,たとえ死に面したとしても,希望があるのです。

希望にはどんな力があるか

パウロは希望の価値について多くのことを教えています。例えば,希望は霊的な武具に欠かせないかぶとである,と述べました。(テサロニケ第一 5:8)それはどんな意味でしたか。聖書時代の兵士は,たいていはフェルトや革でできた帽子の上に,金属製のかぶとをかぶって戦いに出ました。そのかぶとによって,頭部に受ける打撃の多くを跳ね返し,致命傷を防ぐことができました。パウロが述べたかったのはどんなことですか。かぶとが頭を保護するように,希望は思いを,つまり思考力を保護するということです。神の目的と調和した確かな希望を抱いていれば,困難に直面してパニックになったり絶望したりして,思いの平安が打ち砕かれることはないでしょう。そのようなかぶとの要らない人がいるでしょうか。

パウロは,神のご意志に関連した希望について,別の生き生きとした例えも用いました。「この希望を,わたしたちは魂の錨,確かで,揺るがぬものとして抱いて(います)」と書いています。(ヘブライ 6:19)パウロは何度か難船を切り抜けたことがあったので,錨の価値を十分に知っていました。船乗りは嵐に遭うと錨を降ろすのが普通でした。錨が海底をしっかりつかめば,船は海岸の方に吹き流されて岩場に乗り上げることなく,比較的安全に嵐を乗り切ることができました。

同じように,もし神の約束がわたしたちにとって『確かで揺るがぬ』希望となっているなら,それがこの騒然とした嵐の時代を乗り切る力になります。エホバは,人類がもはや戦争,犯罪,悲しみ,そして死にさえ悩まされることのない時代が間もなく訪れると約束しておられます。(10ページの囲み記事をご覧ください。)その希望をしっかり保つなら,災いを避けるように助けられ,今の世界に広く見られる無秩序で不道徳な精神に呑み込まれることなく,神の規準に従って生きてゆこうという気持ちを保てます。

エホバが差し伸べておられる希望は,あなた個人とも関係があります。エホバは,ご自身の意図した生活を人々が送るようにと望んでおられます。エホバの願いは,「あらゆる人が救われ(る)」ことです。どのようにして救われるのでしょうか。まず一人一人が「真理の正確な知識に至る」必要があります。(テモテ第一 2:4)わたしたちは,読者の皆さんが神の言葉の真理についての,命を与える知識をぜひ取り入れられるようお勧めいたします。その知識に基づいて神が与えてくださる希望は,この世界で見いだせる他のどんな希望よりもはるかに勝っています。

そうした希望があれば,無力感を覚えることは決してありません。あなたの目指す目標が神のご意志と調和したものである限り,神はそれを達成するのに必要な力を与えてくださるからです。(コリント第二 4:7。フィリピ 4:13)あなたが必要としているのは,そのような希望ではないでしょうか。ですから,もし希望を必要とし,それを探してこられたのであれば,元気を出してください。希望は目の前にあります。あなたはそれを見いだすことができるのです。

[10ページの囲み記事/図版]

希望の理由

ここに挙げる聖書からの考えは,希望を強める助けになるでしょう。

■ 神は幸福な将来を約束しておられる。

神の言葉によれば,地球全体はパラダイスとなり,一致した幸福な人間家族が住むことになります。―詩編 37:11,29。イザヤ 25:8。啓示 21:3,4。

■ 神は偽ることができない。

神はどんな偽りをも忌み嫌われます。エホバは限りなく聖なる方,浄い方で,偽りを語ることは不可能です。―箴言 6:16-19。イザヤ 6:2,3。テトス 1:2。ヘブライ 6:18。

■ 神は無限の力を持たれる。

エホバは唯一の全能者です。この宇宙に,神の約束の成就を阻み得るものはありません。―出エジプト記 15:11。イザヤ 40:25,26。

■ 神は人がいつまでも永久に生きることを望んでおられる。

― ヨハネ 3:16。テモテ第一 2:3,4。

■ 神は希望を抱いてわたしたちを見ていてくださる。

神はわたしたちの過ちや失敗にではなく,良い特質や努力のほうに目を向けてくださいます。(詩編 103:12-14; 130:3。ヘブライ 6:10)神はわたしたちが正しいことを行なうようにと希望し,そうする時に喜んでくださいます。―箴言 27:11。

■ 神は各人がご意志にかなった目標を達成するように助けると約束しておられる。

神の僕たちが無力に感じる必要は全くありません。神は最も強力な力である聖霊を豊かに注いで助けてくださいます。―フィリピ 4:13。

■ 神に対する希望は決して失望に終わらない。

その希望は全く確かで信頼できます。神があなたを失望させることは決してありません。―詩編 25:3。

[12ページの図版]

かぶとが頭を保護するように,希望は思いを守る

[12ページの図版]

確かな土台に根ざした希望は,錨のように人を安定させる

[クレジット]

Courtesy René Seindal/Su concessione del Museo Archeologico Regionale A. Salinas di Palermo

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