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バプテスマ聖書に対する洞察,第2巻
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ルカの述べるところによれば,イエスはバプテスマを施された時に祈っておられました。(ルカ 3:21)さらに,ヘブライ人への手紙の筆者によれば,イエス・キリストは「世に」来られた時(すなわち,生まれたばかりで,次のような言葉を読むことも言うこともできなかった時ではなく,バプテスマのためにご自分を差し出して,宣教を開始された時),詩編 40編6-8節(七十訳)と調和して,「犠牲や捧げ物をあなたは望まず,わたしのために体を備えてくださった。……ご覧ください,わたしは参りました(書の巻き物にわたしについて書いてあります),神よ,あなたのご意志を行なうために」と言われました。(ヘブ 10:5-9)イエスは生まれながらにユダヤ国民の一員でした。ユダヤ国民は,神との国家的な契約,つまり律法契約に入っていました。(出 19:5-8; ガラ 4:4)その事実のゆえにイエスは,そのようにしてバプテスマのためヨハネのもとに現われた時,すでにエホバ神との契約関係に入っておられました。イエスはその時,律法のもとでご自分に要求されていた以上のことを行なっておられました。イエスは,ご自分の『備えられた』体をささげることに関連した,また,律法にしたがってささげられた動物の犠牲を除き去ることに関係した,み父の「ご意志」を行なうために,み父エホバにご自身を差し出しておられました。使徒パウロは,「ここに述べた『ご意志』のもとに,わたしたちは,イエス・キリストの体がただ一度かぎりささげられたことによって,神聖なものとされている」と説明しています。(ヘブ 10:10)イエスに対するみ父のご意志には,王国に関連した活動も含まれており,イエスはこの奉仕のためにもご自身を差し出されました。(ルカ 4:43; 17:20,21)エホバは,み子が自分を差し出したことを受け入れて承認し,聖霊でみ子に油をそそぎ,「あなたはわたしの子,わたしの愛する者である。わたしはあなたを是認した」と言われました。―マル 1:9-11; ルカ 3:21-23; マタ 3:13-17。
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霊感聖書に対する洞察,第2巻
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多くの場合,クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちはヘブライ語聖書から引用する際,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳を用いたようです。彼らが引用したセプトゥアギンタ訳は,現在知られているヘブライ語聖書の読み方(今日の翻訳の大半は,西暦10世紀ごろのヘブライ語マソラ本文に基づいている)とは幾分異なることがあります。一例を挙げましょう。パウロが詩編 40編6節を引用して述べた箇所には,「わたしのために体を備えてくださった」という表現が含まれていますが,これはセプトゥアギンタ訳にある表現です。(ヘブ 10:5,6)詩編 40編6節を含む入手可能な幾つかのヘブライ語写本では,その表現の代わりに,「あなたはわたしのこの耳を開いてくださいました」という表現が用いられています。ヘブライ語の元の本文にセプトゥアギンタ訳に見られる言い回しが含まれていたかどうかについて,確かなことは言えません。事実はどうであれ,神の霊はこれを引用したパウロを導いたので,これらの言葉には神の権威の裏付けがあるのです。それは,セプトゥアギンタ訳全体を霊感によるものとみなすべきであるということではなく,霊感を受けたクリスチャンの筆者が引用したそれらの部分が,実際に神の言葉の肝要な部分になったという意味です。
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