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迫害聖書に対する洞察,第2巻
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クリスチャンはまた,忍耐する人々を待ち受けている賞を認識します。この報いに関してイエスは,「義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです」と言明されました。(マタ 5:10)復活の希望に関する知識は,その備えの源であられる方に関する知識と共にクリスチャンを強化します。そして,たとえ激しい迫害者の手による死の脅威に面したとしても,神に対して忠節であるよう強めます。クリスチャンは,イエスの死が成し遂げた事柄に対して信仰を抱いているため,そのような横死に対する恐れから解放されています。(ヘブ 2:14,15)クリスチャンは,反対の圧力のもとでも忠実を保ちたいのであれば,精神態度が重要です。「キリスト・イエスにあったこの精神態度をあなた方のうちにも保ちなさい。彼は……死,それも苦しみの杭の上での死に至るまで従順になりました」。(フィリ 2:5-8)「この方[イエス]は,自分の前に置かれた喜びのために,恥を物とも思わず苦しみの杭に耐え……たのです」― ヘブ 12:2。コリ二 12:10; テサ二 1:4; ペテ一 2:21-23も参照。
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サタン聖書に対する洞察,第1巻
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その数時間後,サタンはイエスを死に至らせることに成功しました。それは,最初にイエスの使徒の一人を支配下に入れ,次いでユダヤ人の宗教指導者とローマ世界強国を用いて苦痛と恥辱を伴う方法で処刑させることでした。(ルカ 22:3; ヨハ 13:26,27; 18,19章)サタンはこの時,「死をもたらす手だてを持つ者,すなわち悪魔」として行動しました。(ヘブ 2:14; ルカ 22:53)しかしこれによってもサタンは自分の目的を推進することはできませんでした。イエスが犠牲として死ぬことを求めた預言を不本意に成就したにすぎません。イエスがとがめを持たずに死を遂げたことにより,人類のための贖いの代価が備えられました。そして,その死により(またそののち神による復活により),イエスはいま罪にまとわれた人類を助けてサタンの制御力から逃れさせることができるようになりました。イエスが血肉になられたことに関してこう記されています。「それは,自分の死によって,死をもたらす手だてを持つ者,すなわち悪魔を無に帰せしめるためでした。またそれは,死に対する恐れのために生涯奴隷の状態に服していた者すべてを解放するためでした」― ヘブ 2:14,15。
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