-
敬意聖書に対する洞察,第1巻
-
-
子供との関係において,親は子供を訓練し,懲らしめ,導く権威を授けられた神の代表者です。ですから,親は誉れ,すなわち敬意を受ける資格があります。(出 20:12; エフェ 6:1-3; ヘブ 12:9)このことは子供が親に従順を示したり,深い敬意を表わしたりすることに限られてはいなかったはずです。必要な場合には,晩年を迎えた親の世話を愛を込めて行なうことも含まれていたでしょう。(マタ 15:4-6と比較。)クリスチャン会衆では,困窮している年老いた親に必要なものを備えない人は信仰のない人より悪いとみなされました。(テモ一 5:8)使徒パウロがテモテに指摘したように,やもめに物質上の援助を行なえる子供や孫がいる場合,そのようなやもめの世話をする負担を会衆が負うべきではありませんでした。―テモ一 5:4。
-
-
霊聖書に対する洞察,第2巻
-
-
霊によって油をそそがれた,イエスの追随者たちは,たとえなお不完全な肉の被造物として生きていても,この天的な召しと相続財産のゆえに霊的な命を持っていました。これこそ,使徒が地的な父を「霊的な命の父[字義,「霊[複数]の父」]」エホバ神と対比させて言及している事柄だったようです。(ヘブ 12:9。ヘブ 12:23と比較。)キリストと共になる共同の相続人としての彼らは,霊的な体で死からよみがえらされてキリストの天的な像を帯びることになっており,地上では自分たちの頭であるキリストと結ばれて「一つの霊」として生きるべきであって,自分たちの肉体の欲望や不道徳な傾向が自分たちを支配する力になるままにし,娼婦と「一体」になる事態をさえ招くおそれのあるようなことをすべきではありません。―コリ一 6:15-18; 15:44-49; ロマ 8:5-17。
-