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アベル聖書に対する洞察,第1巻
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アベルの信仰およびアベルが神の是認を受けたことに関する記録が証しを続けているゆえに,「彼は死んだとはいえなお語っている」と言うことができます。(ヘブ 11:4)使徒パウロは,ヘブライ 12章24節で,「新しい契約の仲介者であるイエス,そして,アベルの血よりさらに勝った仕方で語る振り注ぎの血」に言及しています。アベルの血は,殉教者として流した血でしたが,アベルが犠牲としてささげた羊の血と同じく,だれかを贖ったり請け戻したりはしませんでした。アベルの血は事実上,暗殺者カインに対する報復を神に叫び求めました。新しい契約を有効にしたものとしてここで述べられているイエスの血は,アベルと同じような信仰を抱くすべての人に対する憐れみを神に求め,またそれらの人々の贖いを可能にするための手段ともなっているという点で,アベルの血よりさらに勝った仕方で語っています。
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血聖書に対する洞察,第2巻
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血の神聖さはキリスト教の取り決めのもとでなお一層強調されました。もはや動物の血がささげられることはなくなりました。それら動物の捧げ物はイエス・キリストという実体の単なる影にすぎなかったからです。(コロ 2:17; ヘブ 10:1-4,8-10)イスラエルの大祭司はしるしとしての血の一部を地上の聖なる所の至聖所に携え入れることをしていました。(レビ 16:14)真の大祭司であられるイエス・キリストは,地面に注ぎ出されたご自分の血ではなく(ヨハ 19:34),血によって表わされていた,ご自分の完全な人間としての命の価値を携えて,天そのものに入られました。この命の権利をイエスは決して罪をおかして失ったりすることなく,贖罪のために用いることのできるものとして保持されました。(ヘブ 7:26; 8:3; 9:11,12)このようなわけで,キリストの血は義なるアベルの血よりも勝った事を叫び求めています。アベルの血をはじめ,殉教の死を遂げた,キリストの追随者の血が復しゅうを叫び求めている中で,神のみ子の完全な犠牲の血だけが憐れみを叫び求めることができるのです。―ヘブ 12:24; 啓 6:9-11。
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