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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1988
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    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1984
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1988
塔88 2/15 4–7ページ

正直であるとはどういうことですか

正直であるとは,いつも本当のことを言い,詐欺行為をしないという意味です。正直であるためには,他の人との交渉において公正であること ― 率直で,高潔で,欺いたり惑わしたりしないことが求められます。正直な人は誠実な人でもあります。どんな時でも信頼でき,決して人をごまかしません。そのような扱いを受けることはだれしも望むところです。では正直さが時代遅れになることなどあるでしょうか。

クリスチャンは上記の定義から,真の崇拝者であると公言する者がすべて正直な人間でなければならない理由をすぐに理解できます。(ヨハネ 4:24)クリスチャンは「真理の神エホバ」を崇拝します。(詩編 31:5。テトス 1:2)当然のことながら,真理の神の代理を行なう資格があるのは「真実の人々」だけです。―出エジプト記 18:21,「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注。

正直さは人の生活のさまざまな面に関係してくるので,使徒パウロが,「わたしたちは……すべてのことにおいて正直に行動したいと願っている」と言ったのもうなずけます。これには,語ることにおいて,職場において,家族の事柄や商取引において,また何であれ政府が課する法的な要求にこたえる際に,正直に行動することが含まれます。―ヘブライ 13:18。

語ることにおいて

本当のことを言わないようにする方法はいろいろあって,人々はその方法を用います。もっとも,それは罪のない,容認される行為とみなされている場合が少なくありません。働いた時間を偽って報告する,人が訪問すると子供にうそを言わせる,保険会社の人に不正確なことを話す,仮病をつかって仕事を休む,などもそれです。

時折,先方に告げるべきことを書面にしなければならないことがあります。ところがどういうわけか,話す時には決してうそを言わない人が,所得を申告するときや,国境で税関の係官に提出する明細申告書を書く時は問題は別だと考えるのです。こうしたごまかしはすべての納税者に負担となります。それは真の隣人愛ですか。それにクリスチャンは『カエサルのものをカエサルに返す』義務を負ってはいないでしょうか。―ルカ 20:25; 10:27。ローマ 13:1,2,7,8もご覧ください。

語ることにおいてわたしたちは確かに「真理の神」に倣うべきで,「偽りの父」に倣うべきではありません。(詩編 31:5。ヨハネ 8:44)無節操な人は,事実を曲げて欺くために,人をけむに巻くような話し方をするかもしれません。しかし,隣人にうそをつくことは隣人を愛することではありません。それに,うそをつく人には真の将来がありません。―エフェソス 4:25。啓示 21:27; 22:15。

職場において

賃金をもらうのですから一日正直に働くのは当然のことであり,聖書が求めていることです。(コロサイ 3:22-24)それなのに時間を盗む人は少なくありません。休憩時間を長くとったり,遅く来て早く帰ったり,出勤後身づくろいに多くの時間をかけたりして会社の時間を浪費します。また,許されていないのに会社の電話で個人的な用件の長電話をするとか,勤務中に自分の商売をするとか,昼寝をすることすらあります。彼らの盗みですべての人にかかる負担は増大しています。

職場での他の形の盗みとしては,物品や設備の私用があります。けちな雇い主に仕返しでもするように,安い給料を埋め合わせるだけのことだと主張する人もいます。しかし,持ち主つまり雇い主が知らないうちに,または雇い主の許可なしに物を取るとすれば,それは実際に一種の盗みです。

以上のような状況のもとでは真のクリスチャンは,霊感による次の助言に従います。「盗む者はもう盗んではなりません。むしろ……自分の手で良い業を行ない,窮乏している人に分け与えることができるようにしなさい」― エフェソス 4:28。使徒 20:35。

しかし,もし雇い主から不正直なことや違法行為をするように言われ,それをしなければ解雇すると脅されたならどうしますか。例えば,取り替えてもいない自動車の部品の取り替え代金を客に請求するとか,より高い代金を客に払わせるよう安い劣った商品を箱に入れるとか,商品に元の値段と同じ,またはそれより高い,“値下げした”値段をつけるといった場合です。多くの従業員は,それは雇い主の責任で従業員の責任ではないとみなすでしょう。そうした状況に直面したとき,エホバの証人はどう対応してきたでしょうか。ダリル・J__は次のように語りました。

「ある食料品店で生産部長として働いていたとき,経営者から,どの品物の値段も上げずに利幅を増やすようにと言われました。その方法として提案されたのは,特定の生産品の重量を水増しし,“架空の”クレジットノートを仕入れ先に送ることでした。普通に行なわれていることですが,不正直な行為です」。

ダリルは,不正確なことを言ってごまかすようなことはしたくない,と断わりました。(箴言 20:23)それから二,三週間後にダリルは一時解雇になりました。家族に失業の影響を味わわせたことは,賢明さを欠いた行為でしたか。ダリルは正直であったことを後悔したでしょうか。いいえ,なぜなら仲間のエホバの証人の一人がそのことを聞いて雇ってくれたからです。ダリルは,「三,四週間のうちにまた正直な手段で家族を養うことができるようになりました。忠誠を保ってエホバから祝福を受けられるのは特権だと思っています」と語りました。

反面,本当に正直であるために仕事が得られることもあります。ある有名な国際保険会社の外交員は,カナダ,トロント市の商業地区で繁盛しているある商店の所有者に,従業員の盗みという問題を,エホバの証人を雇うことによって解消するようにアドバイスし,こう説明しました。「わたしは別の町で保険業務の訓練を受けていたとき,お得意さんの中に,夜間,陳列棚に商品を補充する仕事にはエホバの証人だけを雇う大きなスーパーマーケット・チェーンがあるのに気づきました。その店はほかの従業員を使っていたときには苦い経験をしましたが,閉店後に商品の補充に来るエホバの証人たちに鍵を渡して以来,なくなった品物は一つもありません」。

正直であるべき他の場合

お金を借りるとき,借りる人は大抵,腰を低くして敬意のある態度を示し,必ずお返ししますとか,ご援助を感謝しますといった言葉を口にします。しかし借金の返済期日がくると,二重人格者のように驚くほど態度を変える人がいます。うるさく催促されるといって,怒りや敵意や不満を表わし,貸してくれた人を薄情だときめつけることも珍しくありません。借りた者の目には,貸してくれた思いやりのある人が極悪非道の人間に変わってしまうのです。しかし聖書は,『借りても返さない者は邪悪な者である』と述べています。(詩編 37:21。ローマ 13:8)わずかずつでも返済する努力をして誠意を示そうともせず,貸し主と連絡をとる努力すらしない場合などは,なおのことそう言えるでしょう。

家族生活においては,多くの事柄で正直さが求められます。家の頭は妻に対し,収入や経済上の問題について事実を話すべきであり,妻は家族の生活資金をどのように使っているかを夫に正直に話すべきです。二人とも誠実な人でなければなりません。このことには,性的関心を配偶者だけに限ることも含まれます。子供たちも交わりや娯楽の種類について本当のことを話し,かつ従順で,親の願いに一致した行動をとるのはよいことです。―エフェソス 5:33; 6:1-3。

以上述べたことから,真のクリスチャンは「不義を捨て」なければならないことがはっきり分かるはずです。不義とは,不正直・虚言・欺き・ごまかし・道徳的腐敗などを伴う邪悪な行ない,およびその行ないが生む悪い結果のことです。―テモテ第二 2:19。ローマ 2:21-24。

報いと益

他の人との交渉において公平と率直を旨とし,真実を語るようにすれば,正直であるよう奨励することになります。そうなると相手を信頼し確信する精神的風土がはぐくまれ,それはやがて健全な態度や関係につながります。正直さはまた,確信ある生き方ができる雰囲気を醸し出します。そこには,他の人々への疑念や不信や恐れから生まれる,時間とエネルギーを消費する防衛意識はありません。―イザヤ 35:8-10と比較してください。

正直さはわたしたちが清い良心を持つことに寄与します。「生ける神に」受け入れられる「神聖な奉仕をささげ(る)」には,清い良心は不可欠です。(ヘブライ 9:14。テモテ第一 1:19)清い良心があれば思いは平安で夜はよく眠れます。きまりが悪くて人に顔向けができないということもありません。正直であれば,悪事を働いたかどで捕らえられるという恐怖にさいなまれずにすみます。こうして人間としての威厳と自尊心を保つことができます。それがどうして時代遅れになったり,現実にそぐわなくなったりするでしょうか。

したがって,正直な人間であれば,現在でもさまざまな報いや益が自分にもまた他の人々にも及びます。しかしわたしたちは,正直は最善の策であるとか,正直であるよう命じられているという理由だけによらず,何にもまして父エホバを愛するがゆえに正直であることを願うべきです。父エホバとの貴重な関係を維持してエホバの是認を得たいと思います。また,正直は隣人愛の表明でもあるゆえに正直でありたいと思います。ですから簡単に言えば,真のクリスチャンであるということは正直であるということです。―マタイ 22:36-39。

詩編作者は言いました。「エホバよ,だれがあなたの天幕の客となるのでしょうか。だれがあなたの聖なる山に住むのでしょうか。それは,とがなく歩み,義を行ない,その心に真実を語る人です。その人は……自分の友に何も悪いことをしたことが……ありません」と。(詩編 15:1-3)もしわたしたちがエホバの崇拝者として正直な生活を送るなら,エホバが不義の現体制を終わらせるという正当な行動に出られ,「神の天幕が人と共にあ(る)」ようになる時,わたしたちもエホバの「客」として,とこしえの祝福を享受する人々の中にいることでしょう。その時わたしたちは決して時代遅れにはならないでしょう。―啓示 21:1-5。

[5ページの囲み記事]

正直さへの挑戦に対処できるか

わたしたちの住む世界は,わたしたちの確信や,正しいことを行なう決意に挑戦を投げかけます。世界は,他の人を犠牲にしても自分を第一にすることを強調する構造になっています。

それでも正直はやはり最善の策とあなたは心から考えていますか。その確信は,圧力による試練を受けたとき,あくまでも正直でいられるほど強いものでしょうか。例えば,次のような場合にはどうしますか。

□ 失業してから何か月にもなるとき,あれこれ勘定を支払ってもまだ余るほどたくさんのお金を拾った。

□ 学校で行なわれる重要な試験で,自分の将来の経済力を決定づけ得る点を取るには,カンニングをする以外に方法がない。

□ 科学者として認められるには,リポートを発表してもらえるよう,自分が調査して得たデータに“調整”を加えなければならない。

□ 休暇で外国へ行き,高価な品物を非常に安く買ったが,国境でそれを申告すれば高い税金を払うことになる。

[6ページの囲み記事]

正直な行為は時代遅れではない

人々は今でも他人のことを気遣うでしょうか。新聞は正直な行為を例外のように,したがってニュース価値があるかのように報道しますが,人々は今でも他人のことを気遣います。

米国インディアナ州フォートウェイン市の警察は,泥棒をおびき寄せる試みとして,鍵のかかっていない車の中に高価なテレビを入れ,どんなことが起きるか,数週間様子を見ていました。「すると車のそばを通りかかった人たちは,中をのぞき込み,テレビがあるのを見てドアを開け,ロックボタンを押し下げ,それからドアを閉めてそのまま歩いて行きました」。そうすることによって人々は自分が正直であることを示しました。

カナダの新聞に,聖書教育の有益な効果のおかげで,紛失した現金が戻ったことを伝える見出しが載りました。

「良きサマリア人のおかげで休暇をふいにしなくてすむ」― ウィンザー・スター紙

「正直なパットさん,421㌦を届け出る」― スペクテイター紙

「紛失した983㌦が戻り,商人,信頼感を回復」― トロント・スター紙

これらの場合,紛失した現金を戻したのはエホバの証人たちでした。最初の場合は,二人の若い証人が家から家への宣教を行なっていた時に財布を拾い,それをある婦人に返しました。「あの少年たちは,ちょっといないすばらしい少年たちだと思います。……このようなことがあると,本当に人間性への信頼を取り戻すことができます」とその婦人は語りました。婦人はほかの土地から来ていた人だったので,少年たちがお金を着服しようと思えば容易にできたに違いありませんが,その二人の少年は,「何でもないことです。だれかのお役に立てばと思ってしただけのことです」と言いました。

二つ目の記事も旅行者と関係のあるものでした。「しかし,[発見者の]頭には誘惑の問題など少しもなかった」と,新聞は伝えました。発見者は,自分はエホバの証人で,「人は正直でなければならないと固く信じています」と説明しました。

三つ目の場合,現金をなくした人は,「それまで人間というものをほとんど信頼していませんでしたと打ち明け」ました。現金の入った茶色の紙袋を拾ったエホバの証人の夫は,要は聖書を導きにしているからで,「そのために妻も」お金を届け出ることが「容易にできた」のだと思う,と記者に語りました。

このようなこともありました。二人のエホバの証人は家から家を訪問していたとき,給料袋が落ちているのを見つけました。二人がそれを近くの警察署に届けたところ,担当官は,紛失届けは出ていないと言いました。それで証人は,お金が見つかったことを地元のラジオ局で放送してもらってはどうかと提案しました。警察官はややけげんな面持ちで,「このお金を返すのに随分骨折っていますが,あなた方は一体どの宗教の人なんですか」と尋ねました。それで二人が,エホバの証人ですと答えると,「そうだろうと思った。ここまで正直な人はあなた方のほかにはいないからね」と言いました。

エホバの証人のW・K__は家から家を訪問していたとき,随分変わったことを頼まれました。その家の主人と妻は病気でかなり気分が悪い様子でしたが,その日に銀行と取り引きをすることになっていました。あなたがそれをしてくれませんか,とその夫妻はエホバの証人に頼みました。証人が承諾すると,銀行へ持って行く現金2,000㌦を渡されました。銀行から戻ったとき証人は,「見ず知らずの私をどうして信頼できたのですか」と尋ねずにはいられませんでした。「エホバの証人だけは信頼できるということをわたしたちは知っているんです。それはみんな知っていますよ」という答えでした。

確かにエホバの証人のほかにも正直な人はどの国にもいますが,その数は特筆に値するほど少ないようです。正直さに関する聖書の教えが,有益で実際的な結果を生むことは本当に感謝すべきことです。

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