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アザゼル聖書に対する洞察,第1巻
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使徒パウロが説明したとおり,イエスはご自身の人間としての完全な命を人類の罪のための犠牲としてささげることによって,「雄牛ややぎの血」が達成したよりはるかに多くのことを成し遂げられました。(ヘブ 10:4,11,12)こうしてイエスは「身代わりのやぎ」として仕え,『わたしたちの病を担う』者,また『わたしたちの違犯のために刺し通された』者となられました。(イザ 53:4,5; マタ 8:17; ペテ一 2:24)イエスは,ご自分の犠牲の価値に信仰を働かせるすべての人の罪を「運び去り」ました。イエスは,罪の状態を完全な忘却に至らせる神の備えを実際に示されました。こうして「アザゼルのため」のやぎは,イエス・キリストの犠牲を表わしています。
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頭(あたま)聖書に対する洞察,第1巻
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イスラエルの大祭司は毎年,アザゼルのためのやぎの頭の上に両手を置いて,民の罪を告白し(つまり,罪をやぎに転嫁し),次いでその動物はそのとがを忘却のかなたへ運び去るため,荒野に連れて行かれました。(レビ 16:7-10,21,22)他の聖句も示しているように,イエス・キリストは自ら『わたしたちの病を担い,痛みを負い』,また『多くの人の罪を負って』くださいました。―イザ 53:4,5; ヘブ 9:28; ペテ一 2:24。
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