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主聖書に対する洞察,第1巻
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敬称 クリスチャンにはイエス・キリストという『一人の主』しかいませんが(エフェ 4:5),これは,クリスチャンが他の人々に,敬意,礼儀正しさ,あるいは権威を表わす称号として「主」(または,「だんな様」)という語を用いることはできないという意味ではありません。使徒ペテロは,サラがアブラハムに対する従順から彼を「『主』と呼んで」いることを理由に,サラをクリスチャンの妻の優れた模範として引き合いに出すことさえしています。(ペテ一 3:1-6)これはサラの側の単なる紋切り型のあいさつではなく,サラが心から柔順な気持ちを抱いていたことの表われでした。サラはアブラハムのことを「自分のうちで」そのように呼んだからです。(創 18:12)一方,クリスチャンはみな兄弟なので,彼らが仲間の一人を「指導者」とか「主」とか呼び,その人を霊的な指導者とみなすのは間違ったことでしょう。―マタ 23:8-10。「イエス・キリスト」; 「エホバ」; 「枢軸領主」を参照。
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敬意聖書に対する洞察,第1巻
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家族の成員間の敬意 妻が家族の頭としての夫に対する健全な恐れ,もしくは深い敬意を表わすのは適切なことです。(エフェ 5:33)これは神の取り決めの中で男に卓越性が付与されていることと調和します。女ではなく,男が最初に造られました。男は「神の像また栄光」です。(コリ一 11:7-9; テモ一 2:11-13)サラは夫に対して深い敬意を抱いた女性の注目すべき模範でした。サラは心から敬意を抱いていました。サラは単に他の人たちに聞いてもらうためではなく,「自分のうちで」さえ夫を「主」と呼んだからです。―ペテ一 3:1,2,5,6。創 18:12と比較。
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女,婦人聖書に対する洞察,第1巻
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使徒ペテロは,貞潔で,敬意のこもった,敬虔な行状を示す,そのような柔順な婦人たちに,「あなた方は[サラ]の子供となったのです。もっともそれは,あなた方がいつも善を行ない,どんな怖ろしい事をも恐れずにいるならばのことです」と告げています。それで,これら妻たちは,肉的な方法で忠実なサラの子孫になることによってではなく,彼女を見倣うことによってすばらしい機会にあずかります。サラはイサクを産み,『アブラハムの[主要な]胤』であるイエス・キリストの先祖の一人となる特権に恵まれました。(ガラ 3:16)ですから,クリスチャンの妻たちは,未信者の夫に対してさえ自分がサラの比喩的な娘であることを証明するとき,神のみ手から確かに豊かな報いを受けます。―ペテ一 3:6; 創 18:11,12; コリ一 7:12-16。
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