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イエス・キリスト聖書に対する洞察,第1巻
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試され,完全にされる エホバ神はみ子に,地に赴いて約束のメシアとして仕える使命を託し,み子に対する最高度の信頼を実証されました。神はご自分の犠牲の子羊として仕える「胤」(創 3:15),すなわちメシアを出現させるというご自身の目的を「世の基が置かれる前から」予知しておられました。(ペテ一 1:19,20)この「世の基が置かれる前から」という表現は,「予知,あらかじめ定める」(メシアに関する事柄をあらかじめ定める)という見出しのもとで考慮されています。しかし,そのような役割を果たすよう選ばれた特定の者をエホバがどの時点で指名したり,そういうことをその当事者に知らせたりされたのか,それがエデンで反逆の起きた時だったのか,あるいはもっと後だったのかについて,聖書の記録は何も述べていません。種々の必要条件,とりわけ贖いの犠牲という必要条件があったため,不完全な人間はだれも用いることができませんが,完全な霊の子なら用いることができました。幾千万もの霊の子らすべての中から,エホバはこの割り当てを引き受ける,ひとりの霊の子,すなわちご自分の初子である“言葉”をお選びになりました。―ヘブ 1:5,6と比較。
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終わりの日聖書に対する洞察,第1巻
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キリスト・イエスは「時代の終わり」,もしくは「これらの日の終わり」に登場してその活動を行なわれたと述べられていますが,その「終わり」もやはりユダヤ人の事物の体制の終わりを指していたに違いありません。(ペテ一 1:20,21; ヘブ 1:1,2)このことはヘブライ 9章26節の次の言葉によって確証されています。「しかし今,[イエスは]ご自分の犠牲によって罪を取りのけるため,事物の諸体制の終結のときに,ただ一度かぎりご自身を現わされたのです」。
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