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バラム聖書に対する洞察,第2巻
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終始一貫エホバは,バラムがいかなる方法にせよイスラエルをのろうことを非とされ,もし行くのなら,のろうのではなくて祝福しなければならないことを強調されました。(ヨシュ 24:9,10)神はバラムが行くことをお許しになりましたが,それはカインの場合と同様です。エホバは,ご自分は非としていることを表明されましたが,同時に,悪い道から離れるか,邪悪な歩みを続けるか,カインが自分で選択することをお許しになりました。(創 4:6-8)その時のバラムはカインのように,その件に関するエホバの意志をかたくなに無視し,自分の利己的な目的を達成しようと思い定めていました。『報いを求めてバラムは誤った歩みに陥った』とユダが書いているように,バラムの場合,報酬に目がくらんで自分が誤った道を進んでいることが分からなくなったのです。使徒ペテロもこう述べています。「ベオルの子バラム……は悪行の報いを愛しましたが,自分が正道に背いたことに対して戒めを受けました。物を言わない駄獣が,人間の声で物を言い,その預言者の狂気の歩みを妨げたのです」。―ユダ 11; ペテ二 2:15,16。
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カイン,I聖書に対する洞察,第1巻
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是認された捧げ物と是認されなかった捧げ物の区別がどのように示されたかは述べられていませんが,その区別はカインにもアベルにもはっきり分かったに違いありません。人の心を読まれるエホバは(サム一 16:7; 詩 139:1-6)カインの誤った態度をご存じでした。神がカインの犠牲を退けると,その誤った性向ははっきりと表わされました。いまやカインは「敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り」といった「肉の業」をあからさまに生み出すようになりました。(ガラ 5:19,20)エホバは気分をそこねて押し黙ったカインに,善いことを行なうようになりさえすれば高められることを示されます。カインは,謙遜になって,是認を受けた弟の模範に倣うこともできたのですが,カインを支配しようとして『入口にうずくまっている』罪深い欲望を制御するように,という神の助言を無視することを選びました。(創 4:6,7。ヤコ 1:14,15と比較。)この不敬な歩みが「カインの道」でした。―ユダ 11。
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