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神の王国聖書に対する洞察,第1巻
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しかし,その後,それら地上の臣民すべての忠誠と専心を試す最後の試験が行なわれます。サタンは底知れぬ深みに拘束された状態から解き放たれます。その敵対者の誘惑に屈する人たちは,エデンで提起されたのと同じ論争,つまり神の主権の正当性を巡る論争に関して誘惑に屈します。それは,敵対者たちが「聖なる者たちの宿営と愛されている都市」を攻撃することから分かります。その論争は天の法廷により,司法上解決され,決着がつけられたと宣せられているので,この件では反逆が長い間放置されることはありません。神の側に立って忠節を保たない者たちは,『なだめの助け手』であられるキリスト・イエスに訴えることができません。かえって,彼らにとってエホバ神は「すべてのもの」ですから,訴えることも執り成してもらうこともできません。霊者であれ人間であれ,反逆者はすべて,神からの滅びの宣告を受けて「第二の死」に陥ります。―啓 20:7-15。
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命聖書に対する洞察,第1巻
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啓示 20章11-15節の裁きの場面では,キリストの千年統治の期間中に「命の巻き物」が開かれて追加の名が記入されることが示されており,教えの巻き物も開かれます。こうして『不義者の復活』の際に戻って来る人たちは,もし従順に教えの巻き物に調和した行ないをするなら,自分の名を「命の巻き物」に書いてもらう機会を得ます。(使徒 24:15)言うまでもなく,『義者の復活』の際に戻って来る,神の忠実な僕たちは,すでに「命の巻き物」に名が記されていることでしょう。彼らは神の教えに対する忠節な従順により,その巻き物に自分の名をとどめ得るのです。
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