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全能,全能者聖書に対する洞察,第2巻
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同様に,「啓示」の書を通してパントクラトールという称号は創造者またとこしえの王なるエホバを指して用いられています。エホバ神はすべての諸国民が崇拝をささげ,恐れを抱くにふさわしい唯一の方であると歓呼している「神の奴隷モーセの歌と子羊[イエス・キリスト]の歌」はその一例です。(啓 15:3。啓 21:22と比較。)この称号がエホバ神を指して用いられていることは,ハレルヤ(あなた方はヤハを賛美せよ)という表現が使われている啓示 19章6節においても明らかです。同じく,「今おり,かつており,これから来る者」(啓 1:8; 4:8)という表現も明らかにとこしえの神(詩 90:2)を指しています。神は古代においても全能者であり,今日においてもそうであり,全き力を表明する全能者として「これから来る者」でもあります。神が王として支配するために『ご自分の大いなる力を執った』後,「全能者なる神の大いなる日の戦争」において敵対する諸国民に対して神の憤りが表明されますが,ここでもその憤りの表明のうちに激しい行動が示唆されています。(啓 11:17,18; 16:14)神のみ子,キリスト・イエス,「神の言葉」である方は,神に油そそがれた王としての地位から「全能者なる神の憤り」を諸国民に表明する方として示されています。(啓 19:13-16)しかも神によるそのような司法上の裁きの強力な表明は,神の真理および義の規準と絶えず完全な調和を保っています。―啓 16:5-7。「神」を参照。
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