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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1999
塔99 11/1 4–6ページ

第3千年紀はいつ始まるか

第3千年紀<ミレニアム>が始まるのは2000年ではなく,2001年である,と言われるのを聞いたことがありますか。その主張はある程度当たっています。ある人たちがかつて考えていたように,現在西暦前1年として知られる年にイエス・キリストが誕生されたとすれば,第2千年紀の終わりは,実際には(1999年ではなく)2000年12月31日となり,第3千年紀が始まるのは,2001年1月1日ということになります。a しかし,今日ほとんどの学者の意見は,イエス・キリストは西暦前1年に生まれたのではないという点で一致しています。では,いつ誕生されたのでしょうか。

イエスはいつ誕生したか

聖書はイエスの誕生の正確な日付を明らかにしていません。しかし,イエスが「王ヘロデの時代に」誕生されたということは確かに述べています。(マタイ 2:1)多くの聖書学者は,ヘロデが死んだのは西暦前4年であるから,イエスはそれよりも前 ― おそらく西暦前5年ないし6年という早い時期に誕生したものと考えています。彼らは,ヘロデの死に関し,1世紀のユダヤ人歴史家フラビウス・ヨセフスが述べていることに基づいてこの結論に達しました。b

ヨセフスによると,ヘロデ王が死ぬ少し前に月食がありました。聖書学者たちは,西暦前4年3月11日に起きた部分月食を指して,ヘロデがその年に死んだに違いない証拠としています。しかし西暦前1年にも,1月8日に皆既月食が,12月27日に部分月食が起きています。ヨセフスが西暦前1年の月食の一つか,西暦前4年の月食か,そのどちらについて述べたかを言える人はいません。したがって,ヨセフスの言葉を用いてヘロデが死んだ正確な年を示すことはできません。たとえできたとしても,さらに詳しい情報がないかぎり,イエスがいつ誕生されたかを特定することはできません。

イエスの誕生した日に関する最も強力な証拠は聖書にあります。霊感による記録には,イエスのまたいとこであるバプテスマを施す人ヨハネが,ローマ皇帝ティベリウス・カエサルの第15年に預言者としての道を歩み始めたことが記されています。(ルカ 3:1,2)一般の歴史は,ティベリウスが西暦14年9月15日に皇帝に指名されたことを証明しています。ですから,その治世の第15年は,西暦28年後半から西暦29年後半にわたるものでした。その期間にヨハネは宣教を開始し,イエスはその6か月後にご自分の宣教を開始されたようです。(ルカ 1:24-31)このことや他の証拠を合わせると,イエスが宣教を開始されたのは西暦29年の秋ということになります。c 聖書には,イエスが宣教を開始されたのは「およそ三十歳」の時であったとあります。(ルカ 3:23)もしイエスが西暦29年の秋に30歳だったのであれば,誕生されたのは西暦前2年の秋だったに違いありません。そこで,もし西暦前2年の秋から2,000年を数えるとすれば(0年というのはないので,西暦前2年から西暦1年までは2年間だったことを念頭に置くと),第2千年紀<ミレニアム>が終わって第3千年紀が始まるのは,1999年の秋であることが分かります。

それは重要なことなのでしょうか。例えば,第3千年紀の始まりは,「啓示」の書の中で言及されているイエス・キリストの千年統治の始まりをしるしづけるものとなるのでしょうか。そうではありません。聖書の中で,第3千年紀とキリストの千年統治との関連を示している箇所はどこにもありません。

イエスは種々の年代を憶測することに関して追随者たちに警告なさいました。「父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなた方のあずかるところではありません」と,弟子たちに言われました。(使徒 1:7)それ以前にもイエスは,神がいつこの邪悪な体制に裁きを執行してキリストの千年支配への道を整えられるかを,ご自分もその時点では知らないことを明らかにして,こう言われました。「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます」― マタイ 24:36。

キリストが,人間として誕生された日からちょうど2,000年目に再来されると期待するのは道理にかなったことでしょうか。そうは言えません。イエスはご自分が生まれた日を知っておられたに違いありません。そして,その日から2,000年を数える方法も確かに知っておられたでしょう。それでも,ご自分が到来する日と時刻については知りませんでした。ご自分の再来の日を正確に示すことがそれほど簡単でなかったことは明らかです。『その時と時期』はみ父の権限内に,つまりその時刻表にあり,み父だけが知っておられたのです。

さらに,イエスは追随者たちに,地理上の特定の場所でわたしを待つようにとは命じませんでした。集まって待つのではなく,「地の最も遠い所」にまで散って,すべての国の人々を弟子とするようにと言われました。イエスはその命令を決して撤廃してはおられません。―使徒 1:8。マタイ 28:19,20。

千年紀の希望は打ち砕かれるか

しかしながら,宗教上の原理主義者の中には,2000年に大きな期待をかけている人たちもいます。その後の数か月間に「啓示」の書の一部が文字通り成就すると信じているのです。実際その人たちは,自分たちがその成就に個人的にあずかると考えています。例えば,啓示 11章3,7,8節の預言を指摘します。「霊的な意味でソドムまたエジプトと呼ばれる大いなる都市……彼らの主もそこで杭につけられた」場所で預言する二人の証人のことが述べられている箇所です。二人の証人は証しを終えると,底知れぬ深みから出てくるどう猛な野獣に殺されます。

1998年12月27日付の「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」が伝えたところによると,ある宗教団体の指導者は,「自分は地球の滅亡と主の到来を宣明するよう運命づけられ,そのあと,エルサレムの街路でサタンに殺される二人の証人のひとりである,と追随者に告げた」ということです。イスラエル当局が心配するのも当然と言えます。過激派が自力で ― たとえ武力紛争を引き起こすことになるとしても ― 預言を“成就”させようとするかもしれないことを当局は憂慮しています。しかし,神はご自分の目的の実現に人間の「助け」を必要としてはおられません。聖書預言はすべて,神のご予定の時に神の方法で成就します。

「啓示」の書は「しるしによ(って)」書かれました。啓示 1章1節によると,イエスはほどなくして起きることを(世の一般の人々にではなく)「ご自分の奴隷たち」に明らかにすることを望んでおられました。キリストの奴隷,つまり追随者たちが「啓示」の書を理解するには,神の聖霊が必要です。エホバはそれをご自分が喜びとする人たちにお与えになります。もし「啓示」の書が文字通り理解されるべきものであれば,信仰心のない人でもそれを読んで理解できることになります。そうであれば,それを理解するためにクリスチャンが聖霊を祈り求める必要はないでしょう。―マタイ 13:10-15。

聖書に基づく証拠から,イエスの誕生を起点とする第3千年紀<ミレニアム>が1999年の秋に始まることが分かりました。しかしその日付にも,2000年の1月1日や,2001年の1月1日にも,何ら特別な意義はないということも分かりました。とはいえ,クリスチャンが深い関心を抱く千年紀があります。それが第3千年紀でないとすれば,どの千年紀なのでしょうか。この一連の記事の最後の記事がその質問に答えます。

[脚注]

a 5ページにある,「2000年それとも2001年?」という題の囲み記事をご覧ください。

b それらの学者たちの年代計算でいけば,第3千年紀は1995年か1996年に始まったことになります。

c 詳しくは,ものみの塔聖書冊子協会発行の「聖書に対する洞察」,第2巻,794,795ページをご覧ください。

[5ページの囲み記事]

2000年それとも2001年?

イエスの誕生を起点とする第3千年紀<ミレニアム>は2001年1月1日に始まる,とある人たちが主張する理由を理解するために,次の例を考えてみましょう。たとえば200ページの本を読んでいるとします。200ページ目の初めに来た時,あなたは199ページ分を読んだことになります。しかしあと1ページ読まなければなりません。200ページ目の終わりまで読んではじめて,読み終えたことになります。同じように,一般に考えられているとおり,1999年12月31日には現在の千年紀の999年目が終わります。しかしその千年紀が終わるには,もう1年経過しなければなりません。その計算からすると,第3千年紀は2001年1月1日に始まります。しかしこれは,この記事で示されているとおり,イエスの誕生の日からちょうど2,000年が経過したことを意味するものではありません。

[6ページの囲み記事]

B.C.-A.D.式の紀年法はどのように発達したか

西暦6世紀の初め,教皇ヨハネス1世は,ディオニシウス・エクシグウスという修道僧に,年代計算法の考案を命じました。それは,教会が復活祭の公式の日付を定めることができるようにするためでした。

ディオニシウスはさっそく仕事に取りかかりました。彼は時を逆算しました。イエスの死を通過して,イエスが誕生した年と彼が考えた年までさかのぼり,次いでその年を起点としてそれ以降の各年に順番に番号を付けました。ディオニシウスは,イエスの誕生以降の年代を“A.D.”(アノ・ドミニ ―「我らの主の年に」)と呼びました。ディオニシウスは年ごとの復活祭を算定するための信頼できる計算法を編み出すことしか考えていませんでしたが,図らずもキリストの生誕から年を数えていくという概念を世に紹介したのです。

ほとんどの学者の意見は,ディオニシウスが計算の基準にした年にイエスが誕生したのではないという点で一致しています。しかし彼の年代計算法により,わたしたちは出来事を時の流れの中に位置づけ,他の出来事との関連を見ることができます。

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