-
手聖書に対する洞察,第2巻
-
-
右手 右手は象徴的に極めて重要なものとみなされました。ヤコブがヨセフの下の息子であるエフライムの上に右手を置こうとして手を交差させたとき,ヨセフはそれを快く思いませんでした。しかし,ヤコブはエフライムのほうに勝った祝福を与えるため,あえてそのようにしたのです。(創 48:13-20)支配者の右手の側にいるということは,その支配者自身に次ぐ最も重要な地位を占めている(詩 110:1; 使徒 7:55,56; ロマ 8:34; ペテ一 3:22),またはその支配者の恵みを得る立場を占めているということでした。(マタ 25:33)イエスは「啓示」の書の幻の中で右手に七つの会衆の七つの星を持つ方として述べられています。それは,これらの長老団がすべてイエスの恵みを受けており,イエスの全面的な支配と力と導きのもとにあるということです。―啓 1:16,20; 2:1。
-
-
天聖書に対する洞察,第2巻
-
-
使徒パウロはエフェソス人への手紙の中で,その当時地上に住んでいたクリスチャンが,『キリスト・イエスとの結びつきにおいて[よみがえらされ,]天の場所に共に座らされ』,すでに天的な地位を享受しているかのように語っています。(エフェ 1:3; 2:6)文脈からすると,油そそがれたクリスチャンは神により,天の相続財産をみ子と共に受け継ぐ「相続人として選定された」ので,神からそのようにみなされていることが分かります。彼らはまだ地上にいる間,そのような割り当てによって高くされてきました。つまり『挙げられて』きたのです。(エフェ 1:11,18-20; 2:4-7,22)これらの点は,啓示 11章12節にある象徴的な幻の解明にも役立ちます。同様に,ダニエル 8章9-12節に含まれている預言的描写,つまり前の部分では政治勢力を表わすとされていたものが「天の軍に達するまでに大きくなっていき」,その軍と星の幾らかを地に落とすまでになると述べられている箇所を理解するためのかぎも,ここから得られます。ダニエル 12章3節では,予告されていた終わりの時に地上にいるそれら神の僕たちが「定めのない時に至るまで……星のように」輝くと言われています。「啓示」の書1章から3章でも,星が象徴的な意味で用いられていることに注目してください。それらの章の文脈は,それらの「星」が,明らかに地上に住み,地上において様々な経験をし,様々な誘惑に遭っている人たちであることを示しています。それらの「星」は彼らの世話のもとにある諸会衆に対して責任を負っています。―啓 1:20; 2:1,8,12,18; 3:1,7,14。
-