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  • 神と語る
    ものみの塔 1963 | 6月1日
    • かを,時間をさいて教えるように心がけてください。そうして,神に語っているのであること,そのために敬意とけんそんと子供らしい純真さをもって祈るべきであることを子供の心に印象づけてください。

      23 祈りの特権の貴重なことを考えて,何をすべきではありませんか。

      23 祈りの特権は貴重なものですから,実演の一部として祈るべきではありません。ですから,姉妹と一緒に家庭聖書研究に行く男子のしもべは,必要があれば助言を与えるのが目的で,姉妹に研究を司会をさせますが,初めの祈りと終りの祈りは自分でします。それは祈りが助言の対象になることは決してないからです。

      24 神に語る私たちの特権を要約しなさい。

      24 私たちに語らせ,ともに歩かせてくださる神は,ほんとうにへりくだったかたであられます。私たちは神とともに歩むときに,神が語られることにゆだんなく耳を傾け,それを心に留め,また私たち自身も絶えず神に語りかけ,ささげた祈りにふさわしく,感謝しながら耐えなければなりません。それと同時に,祈りと一致した行いをし,常にその場に適合した内容の祈りをささげ,型にはまらないように注意しなければなりません。そうすることによって私たちは,エホバの御名の立証にあずかり,エホバ心をよろこばせ,現在でも,エホバの終りのない正しい新しい世においても,多くの喜びを得ます。

  • 責任をはたして各自の荷を負いなさい
    ものみの塔 1963 | 6月1日
    • 責任をはたして各自の荷を負いなさい

      昔バビロンで偶像の前にひれふして拝め,拝まなければ火の炉に投げ込むと言われたとき,3人のヘブル人は決定を下す必要に迫られました。預言者ダニエルに相談する時間の余裕などはありません。自分たちの責任においてとるべき道を決定しなければなりません。シャデラク,メシャク,アベデネゴの3人は,偶像崇拝を禁じた神の律法を,たとえ殺されても破るまいと固く心に決めていました。その決定は正しく,エホバは3人を救いました。(ダニエル書 3章)この3人が負ったような責任の荷を負えますか。

      クリスチャンならばだれでも聖書の原則に照らして善悪を判断できるかと言うと,そうではありません。知識の足りない人もあり,自分で考えることをしない人もあります。ものぐさのためか,あるいは他の人に責任を持ってもらうため,重要な決定を他の人に下してもらおうとする人がいます。自分がある事をしたいと思っても良心のとがめを感ずる場合,他の人に尋ねてその人の良心がその行いを許すのを見たいと思う人もあるでしょう。理由は何であるにしても,自分で責任をはたそうとしない事は自分の益になりません。

      他の人に考えてもらうくせがつくと,自分で考える力が訓練されず,何時までたっても思考力が弱いことになります。だれかに尋ねて教え

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