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ひとりびとり自分の言いひらきをしなければならないものみの塔 1963 | 11月15日
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ものです。悪人に警告しない者は神に対して責任がある,というのが原則です。―エゼキエル 3:17,18。
23 (イ)残された時と,いまさばきが行なわれていることを考えると,命を望む人はすべてなにをすべきですか。(ロ)私たちは何を心に留めるべきですか。それはどんな最終的祝福を望むためですか。
23 残されている時間はわずかで,さばきはすでに始まっているというのに,なぜ神のみこころを行なうことをのばしますか。子供たちよ,クリスチャンの両親に従ってください。ご両親よ,「エホバのこらしめと権威ある教え」とによって子供たちを育ててください。いま神の真理を学んでいる人は,残された時を賢明に用いてこの世の快楽から神への奉仕に心を向けてください。神に献身している奉仕者のみなさん,あなたの奉仕を忠実に行なってください。神は「すべてのわざをさばかれ」るのですから,私たちは常に,最後の精算は人間とするのでもなければ,私たちがその政府のもとに住む国とするのでもないことを,心に留めておかねばなりません。「わたしたちはみな,神のさばきの座の前に立つのである。だから,わたしたちひとりびとりは,神に対して自分の言いひらきをすべきである」。(ロマ 14:10,12,新口)エホバの指命された「生者と死者の」審判主が,私たちの申し開きをよしとされて,永遠の生命の賜物と共に,ハルマゲドン後の権利と特権を与えて下さるように。
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導かれてただしいみちにすすむものみの塔 1963 | 11月15日
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導かれてただしいみちにすすむ
ゴットフリード・ヒューズの経験談
子供のころ,私の母は祈りの仕方をよく教えてくれました。私は今でもそれをなつかしく思います。どれも簡単な祈りでしたが,それは,愛ある全能の神,万物の創造者がおられるとの意識を,私の心の中に植え付けました。やがて年が進み,主の祈りも覚えました。もとより,その深い意味を理解していたわけではありません。
スイスのアルプス地方,ベルン高地の山ふところに抱かれた,私たちの小さな村への冬の夜の訪れは早かったようです。夕暮になると針先のきかない私の母は,手にした縫い物をかたわらにおき,子供たちをまわりに集め,夕やみがましてランプがともる頃まで,色々と聖書の物語りを聞かせてくれました。私たちはこの静かなひとときをいつも楽しみにしていました。また,日曜学校に行ったり,堅信礼にそなえる話を聞いたりして,聖書に接する機会は他にもありました。しかしまだそのころには,エホバが持たれるすばらしい計画についてほんの少しの認識も得ていませんでした。
独立して暮しを立てるために,親元を離れることになった時,母から与えられた忠告は,祈りの特権をおろそかにしないように,ということでした。当時私は,人の前に置かれた永遠の前途はただ二つ,すなわち,火の燃える地獄で永遠の苦悩を忍ぶか,あるいは天において無限の至福を喜ぶかのいずれである,との教えを信じていました。私としては,自分の不足をいつも感じていましたので,どうか私をいつも正しく導いて下さいと神に祈りました。
正しい道をはっきり知る
1915年の初め,私を導いて,祈り求めていた正しい道に進ませる出来事がありました。一番上の姉が死に,その埋葬を済ませ,帰りに汽車に乗りました。葬儀後の悲しく,うつろ
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