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  • 神の目的とエホバの証者(その55)
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1963
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  • 第33章 国際的にひとつの目的で結ばれた新世社会
  • 各地で開かれた「清い崇拝」大会
  • 鉄のカーテンの下をくぐり抜ける
  • 増加の証拠
  • 新世社会の大会
  • ゴグの攻撃を警告する
  • 安全を求めて逃れる
  • 逃れることは1945年以来,急を要す
  • 1953年の大会の閉幕と延長
  • 新世社会の活動に対する反応
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1963
塔63 2/1 91–95ページ

神の目的とエホバの証者(その55)

「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳

第33章 国際的にひとつの目的で結ばれた新世社会

ジョン: 1951年の清い崇拝大会は先ず英国ロンドンの有名なウェムブレイ・スタジアムで8月1日から5日まで開かれました。40の国々の証者が汽車,自動車,船,飛行機でやって来ました。大会の最高潮となった,協会会長による公開講演「宗教は世界の危機に対処できるか」を聞いた人は,3万6315人でした。

この大会における話はおもに英語で行なわれましたが,デンマーク語,フィンランド語,フランス語,ドイツ語,オランダ語,ノルウェー語,スェーデン語の話もあって活気を呈し,すべての兄弟たちが自由に交わったこの大会の国際的な性格をよく示していました。大会出席者はバッジを着用したのでロンドン中で証者を見分けることができました。このバッジは名札であると同時に講演会をも宣伝するものです。

大会の話はすべて清い崇拝の実際的な面を強調し,神の言葉の宣教を一生の仕事,専門の職とすることの価値を強調していました。このような知らせ,助言と教えは,出席者の必要によくこたえるもので,話のほかにも伝道方法,教え方が実演で示され,スタジアムは五日のあいだ教育の場,訓練を与える学校となりました。そして出席した全部の人々はいっそう効果的な奉仕の方法を学ぶことができました。このシリーズの他の大会もロンドン大会とほぼ同じプログラムに従って行なわれました。

8月1日,水曜日,ロンドン大会は開会と同時に楽観的な気分を盛り上げました。協会の会長は,「全宇宙で最も楽観している神」a エホバにならうことをすすめ,話の終りに4種類のパンフレットを発表しました。それは「エホバの証者は何を信ずるか」「地獄の火 ― 聖書の真理それとも異教徒のおそれ?」「エホバの証者は共産主義者,あるいはクリスチャンか」「眠りから目ざめよ!」の4種類です。

8月3日,金曜日にルイスリップ・リドで行なわれた1123人の浸礼は,新聞紙上に大きく報道されました。その日の晩に行なわれた会長の話は,来るべき新しい世に備えてどのように心を新たにするかを示す実際的な話でした。b

土曜日,「清く汚れのない崇拝の勝利」と題する会長の話は非常な熱意を以て迎えられ,その最高潮に「宗教は人類のために何をなしたか」と題する新しい本が発表されました。

大会最終日の8月5日,日曜日,雲間からそそぐ柔らかい午後のひざしの中を人々はウェムブレイ・スタジアムにつめかけました。その中には英国の貴族もいました。その日は「王エホバをほめる日」と呼ばれ,3万6315人が聞いたこの日の話は,その目的によくかなっていました。「宗教は世界の危機に対処できるか」― これが協会の会長の選んだ主題です。熱心に耳を傾けた聴衆はその率直な答えを知って大いに喜びました。この話をのせた冊子がプログラムの終りに発表され,出席者は配布用の分を望むだけ入手できました。このために50万冊が準備されていたのです。c

各地で開かれた「清い崇拝」大会

大ぜいの証者はロンドンから大陸にわたり,各地の大会に出席して,英国に来られなかった幾千の証者と交わりを共にしました。8月9日から12日までフランス,パリーのパレイ・デ・スポルトで開かれた大会はその最初のもので,公開講演には1万456人が出席しました。フランスで14年ぶりに開かれたこの大会に,28ヵ国の証者が出席し,8月10日金曜日には351人が浸礼を受けました。これは熱意にみちた教訓的な,4日間の集まりで,土曜日にはフランス語の新しい本,「すべての良いわざに備える」が発表されています。

ついで8月14日,火曜日にはルクセンブルグ,8月16日,木曜日にはベルギーのブルッセルにおいて,それぞれ1日だけの大会が開かれ,会長とその一行が出席しました。8月17日から19日まで,清い崇拝大会の舞台はオランダ,ロッテルダムのアホイ・ゲボウ競技場に移され,8月19日,日曜日には285人が浸礼を受けたのをはじめ,金曜日,土曜日には新しいオランダ語の冊子,「あなたは地上で幸福のうちに永遠に生きられますか」とオランダ語の「目ざめよ!」誌が発表されて,兄弟たちを喜ばせました。また「これは永遠の生命を意味する」の書籍も近く出ることが発表されました。六つの大型テントにわらぶとんが準備されて3600人に上る大会出席者の宿泊に供せられました。広く宣伝された日曜日の講演会は1万775人の聴衆を集めて行なわれ,これはオランダで最大の大会となりました。d

8月24日26日までドイツ,フランクフルト・アム・メインで開かれた3日間の大会は,森の中で過すにも似て快適なものでした。大競技場ならびに定員外の聴衆を収容する施設として,隣接のサイクル・レイシング・ボールが,このドイツで最大の大会のために貸切られ,この大規模な大会の準備は早くからすすめられました。この大会を成功に導くため,4901人の人々が働いたのです。

メイン・スタジアムにつづくシティ・フォレストには三つの巨大なテントが張られ,聖書からとった名前を冠した通りが設けられました。他にも大会の各部門を収容するテントが立ち,簡易食堂も設けられました。蒸気機関車を使って蒸気を供給した独特の調理場が作られ,1時間に3万食を給しました。しかしこの天幕村の大部分は,フランクフルトのホテルや個人の家に宿泊できなかった2万7000人の大会出席者の宿泊所にあてられました。大会中,音楽を奏し,また歌の伴奏をつとめた150人編成のオーケストラは,兄弟たちの音楽の才を示していました。

この大会のプログラムはロンドン大会のものとほとんど同じです。8月25日,土曜日の午後には,ドイツ語の「すべての良いわざに備える」が発表され,その日の朝には2373人の浸礼が行なわれました。この大会は新聞,ラジオによって報道され,日曜日の公開講演もそのため広く宣伝されたので,4万7432人の出席を見ています。

心の暖かいドイツ人の兄弟たちは,大会の終りに期せずして別れの大合唱を歌い,24の国々からこの神権的な大会に集った仲間の証者を神にゆだねました。ハンカチの波そして会長が演壇をおりると,感謝の心でいっぱいの兄弟たちは場内を横切って行き,会長のまわりを幾重にもとり囲みました。会長が大会事務所に姿を見せたのは,それからしばらく後のことでした。会長はそこで家路につく大会出席者たちを見送っていました。e

鉄のカーテンの下をくぐり抜ける

東ドイツのエホバの証者は1950年8月30日以来,共産主義者の手によって禁令下におかれているので,フランクフルトの大会に出席できた東ドイツの兄弟は500人余りに過ぎませんでした。そこで8月28日,火曜日,1日だけの特別な大会がベルリンの西地区で開かれ,すべての話の要約と興味深い事柄が,たいていは,最初の話し手によって語られました。この大会の4時間にわたるプログラムは1万3563人を集めて,ウッドランド・ステージと呼ばれる野外劇場で開かれました。そのうち8000人は共産主義の東地区から来たものと推定されています。これらの兄弟たちは協会の会長,西ドイツの支部の僕その他の語る言葉を一語も聞きもらすまいと熱心に聞き入り,自由を求め,エホバの証者に加えられている独裁的な仕打ちに反対する言葉に一斉に拍手を送りました。

これらの兄弟たちも,愛のこもった別れの歌を歌い,愛と感謝を表明してのち,霊的な満足の笑みを浮かべて家路につきました。そして西地区に留まって自由を享受することなく,鉄のカーテンの背後の任命の地に戻って,本当の勇気と神権的な務に対する忠実を示したのです。f

さて1951年の一連の大会は,北および中央ヨーロツパに舞台を移しました。8月31日から9月2日までデンマーク,コペンハーゲンに開かれた大会では2259人がバプテスマを受け,日曜日の公開集会に6912人が出席しました。フィンランドでは9月5日にブァサ,9月7日から9日までヘルシンキにおいて二つの大会が開かれ,合計170人の浸礼を見たほか,出席者の最高数は5750人に達しましたg。つづいて9月14日から16日まで,スエーデン,ストックホルムで開かれた大会は6211人を集め,141人がバプテスマを受けました。ノルウェー,リルハンマーで9月21日から23日まで開かれた大会では,土曜日に89人が浸礼を受け,日曜日の公開講演に2391人が集まりました。h オーストリア,ウィーンの兄弟たちは,9月28日から30日までの大会に4467人を集めて最大の大会を開き,大いに喜びました。i

1951年の一連の大会の最後として,アメリカのエホバの証者は,10月12日から14日にかけてワシントン・ヂィーシーのグリフィン・スタザアムに集まり,日曜日の公開講演には意外にも5万7500人という群衆が集まりました。この大会では558人が浸礼を受けています。j

増加の証拠

1951年度の大会のプログラムは,神権的交わり,知識,霊的な益の面で大いに向上させるものでした。これは元来,世界中の兄弟たちのために準備されたものでしたが,ヨーロッパ各地およびアメリカで大会の開かれたことによって多くの人が霊的な益を受けました。出席した人の数は,これらの大会がエホバの他の羊を集める世界的なわざに大きな役割をはたした事を如実に物語っています。いまや神権的拡大の起きていることは否定できない事実です。

1952年にはすべての国において巡回および地域大会が開かれました。この年にも世界大会はありませんでしたが,それはかねて発表された通り,1953年にニューヨーク市で開かれるはずの国際大会に出席することを人々が計画していたからです。すべての人は,有名な1950年のヤンキースタジアムの大会が再現されるものと期待していました。

協会のブルックリン工場で生産される聖書文書の需要が増大したことも,拡大を物語る別の証拠です。年鑑は1952年に行なわれた印刷施設の拡大を次のように報告しています。

雑誌および書籍の配布が増加の一途をたどっているため,しかもこの増加は世界的に見られるので,ブルックンの印制工場の施設を拡大することが必要になった。すべてのエホバの証者が知っている通り,協会はブックリンの印刷工場を増築し,過ぐる年のあいだこれはフルに活用されてきた。しかし文書の需要の増大に応ずるため,新しい印刷機をすえつけることが必要になった。印刷機のほかにも,数多くの新しい機械が購入されたが,この新しい高速度輪転機について一言すると ― これは1時間3万冊の割合で「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌を印刷できるだけでなく,本と冊子の印刷も可能で32頁のユニットを1時間に6万の割合で印刷できる。この印刷機は重さ64トンで,これを据えつけるために工場6階の壁を一部とりこわすことが必要であった。それは精密検査のうえ解体されて,工場に運び入れられたが,ある部分は重さ17トンもあった。この巨大な印刷機の各部分は往来から6階まで持ち上げられ,壁にあけた縦16フィート,横18フィートの穴を通して建物の中に入れられた。この印刷機は全世界の文書の需要に応ずるために大きく役立つであろう。k

マリア: 1954年の年鑑には,ものみの塔ギレアデ聖書学校について興味深いことが出ています。ジョン,読んでみましょうか。1953年1月,創立10年後にこれはワシントンのアメリカ教育局から大学程度の教育を授ける教育機関として認可されました。これによってアメリカ国務省および移民局では,1953年1月15日より外国の学生に非移民学生としての査証を与えることができるようになりました。以来,国務省の指示によって全世界のアメリカ大使館領事部には,ものみの塔ギレアデ聖書学校がこのとりきめより学生を受け入れる学校として登録されています。l

ジョン: ギレアデと言えば,1954年,16インチ望遠鏡を備えた天文台が校庭に作られ,学生たちは星の輝くエホバの創造の驚異を観察できるようになりました。a これは1955年,望遠鏡を収容するドームが建設されて完成しました。b

新世社会の大会

エホバの証者が国際的にひとつの目的で結ばれていることは,1953年,再びはっきりと世界に示されました。ニューヨークのヤンキースタジアムで開かれた2度目の国際大会には,アメリカを含めて全世界の96ヵ国からエホバの証者が集まりました。ものみの塔ギレアデ聖書学校第21期生127名の卒業式が行なわれた大会初日の7月19日午後には,あらゆる交通機関を利用して繰り込んできた12万6387人が集まりました。その中には過去20回にわたるギレアデの卒業生945人も含まれています。「すべての国の人をひとつの群れに集める」と題する協会会長の卒業式訓辞は,相つぐ拍手に迎えられ,新世社会の大会は大きな熱意のうちに始まりました。c

「ものみの塔」に出た報告から大会のおもな出来事をひろって見ましょう。

大会は国際的なもので,アメリカを除くと95を数える国々から約2万2000名が海,空,陸路を経てやってきた。

スタジアムから40マイル離れたニュージャージイ,ニューマーケット近くのトレイラーの町も新世社会大会の重要な一部で,200エーカーの土地に1500台のトレイラーと6000のテントが聖書にちなんで名づけられた通りにそって立ち並んだ。これはほとんど一夜のうちに出現したのである。ここにある80の建物と集会用天幕はヤンキースタジアムと電話でつながれ,4万5000人の人々は霊的食物と,からだに必要なものを十分に得ることができた。

大会は案内,救護など23の部門別によく組織され,2万人の自発奉仕者が喜んで,また能率的に働くさまは,外部の人々を驚かせた。つんぼの人に講演を伝えること,出席できなかった人のために話をテープに録音すること,英語の分からない人のために20の言語で行なわれたdプログラム,大会後ブルックリンベテルと工場,スタテン島のWBBR,ものみの塔ギレアデ聖書学校の見学など,万事がとりきめられた。

大会のプログラムはよく考案され,アジアの日,アフリカの日など,地域に応じた主題がそれぞれの日のために設けられ,支部の僕,宣教者の興味深い報告が盛られていた。ほとんど毎日行なわれた会長および副会長によるおもな話は新しい真理の主題を伝え,また初日から最終日まで英語と他の言語の新しい出版物が次から次に発表された。その数は全部で75に及ぶ。エホバの御霊と力はその民の上にあり,すべての讃美がエホバに帰せられた。e

最初に発表された本は「すべての事を確かめよ」でした。その発表と時を同じくして,エホバの証者が新世社会の一致したひとつの民であることを明確にした決議が協会会長の手で提出され,12万5040人の聴衆により満場一致可決されました。これはこのような特権あり,祝福された立場に立つことを公に示し,エホバの証者が神の目的の中で独自の立場を占めていることを明白にするものです。f

ついで7月22日,水曜日にはヘブル語聖書新世訳第1巻が発表されています。g

ゴグの攻撃を警告する

エゼルキエル書 38,39章の預言を解明した話,「新世社会は北のはてから攻撃される」は,木曜日晩の集会に集まった11万2700人の聴衆の心をとらえました。協会の副会長は疑問の余地が全くないまでに,ハルマゲドンの警鐘を打ち鳴らしたのです。報告を見て下さい。

この預言に出てくるおもな名前ゴグは,サタンを指すことが明らかにされた。マゴグの地とは,1918年までに天から落されたサタンの霊の勢力が束縛されている地の近くの霊界をいうのである。預言の中に述べられたメセク,トバル,ゴメル,フテなどの地名は,サタンの地上の組織の諸要素を意味する。

南北にひろがったこれらの聖書的な地名は,エホバの新世社会を滅ぼそうとする企てが全地においてたくまれていることを示す。エホバの民の繁栄,一致,安らかな状態を見てサタンの軍勢はねたみにかられ,エホバの民を滅ぼしつくそうとする悪しき企てを抱いている。1914年-1918年以来,サタンとその名は大いに低められた。それと時を同じくしてエホバの御名は高められ,全地において知られ,最大の論争を前面に押し出している……

全地にわたる攻撃の時は間近い。それはすべてのエホバの証者の信仰をためすものとなろう。「今よりのち油断することがあってはならない。エホバの証者はハルマゲドンのことを前以て知らねばならぬ」。それは予め知って備えをするためである。「繁栄をよいことに安易に陥ってはならない」とフランズは語った。h

「新しい世を信ずる基礎」i と題する冊子,および次の4つのパンフレットがつづいて発表されました。「進化論と聖書のいずれを信じますか」「正しい宗教はどれですか」「キリストの臨在のしるし」「平和に対する人間の唯一の希望」。j

安全を求めて逃れる

興味をうばう出来事が相ついで急速に到来しました。7月25日,土曜日午後のおもなプログラムは,「新世社会と共に安全を求めて逃れる」と題する話,および「新しい天と新しい地」と題する本の発表でした。協会の会長は,国際連合と呼ばれる世界機構がマタイ伝 24章15節とダニエル書 11章31節に言われた「憎むべき者」,すなわち宗教と政治が一体となって神に反逆する企であることを,はばかることなく言明しました。その言葉は心の正しい人に対し,エホバの新世社会のある「山」に逃れることを訴えるものでした。大会の報告によると,会長は次のように話し始めました。

「古いものが罪せられ,滅びゆく一方で,永続する新しいものが建てられてゆきます」。キリスト教国の現在の立場は,西暦33年から70年におけるユダヤ人社会およびユダヤ,ローマ同盟と全く同じであることが明らかにされた。

ルカ伝 19章41-44節およびマタイ伝 24章16節に記録された,エルサレム滅亡に関するイエスの有名な預言が次にくわしく説明され,西暦70年に滅びをもたらした「憎むべき者」とは,エルサレムのユダヤ宗教組織と政治的なローマとの同盟であることが明らかにされた。イエスの裁かれたとき,「カイザルのほか我らに王なし」と叫んだユダヤ人は,この憎むべき同盟の支持者であることを全世界に表明した。

イエスの預言にたがわず,この同盟の政治的な部分がユダヤの宗教的な部分に敵対すると共に,エルサレムは西暦66年,軍隊に囲まれ始めた。これはエルサレムのクリスチャンがイエスの預言的な命令に従い,町をすててギレアデの山に逃れるための合図となったのである。西暦66年のローマの囲みはどうした訳か一時のあいだ解かれた。しかし西暦70年になって再び包囲したローマ軍はエルサレムを全滅させ,100万人以上のユダヤ人が滅びた。しかしクリスチャンは山に逃れて,一人も生命を失わなかった。

1919年,この世の政治諸強国と同盟を結んで国際連盟を設立したキリスト教国は,今日のエルサレムに当る。メシヤを拒絶した昔のエルサレムと同じく,キリスト教国はキリストの国すなわち1914年に設立された新しい天を受け入れず,政治諸強国と結んで安全のための同盟を結成した。第一次世界大戦後に教職者は政治指導者に従い,国際連盟が人類の唯一の希望であると,宣言した。k

講演者は次のように言葉をつづけました,「同時に,キリストの治める神の国が人類の唯一の希望であることを宣明するエホバの証者の声も,異常な大胆さと確信を加えて聞え始めました。」盛んな拍手の中で講演者は次の意味のことを述べました。

さてこれら二つの戦後の運動のうち,いずれが神の国を支持するものであったろうか。エホバの証者あるいは牧師の祝福した国際連盟のいずれが,神の怒りをひき起こしたであろうか。エホバの証者はニューヨーク市,ヤンキースタジアムにおけるこの新世社会に集まっている通り,今なお健在である。しかし政治的な新しい天,国際連盟は存在しているだろうか。それは第二次世界大戦中,無力かつ無活動の状態に陥っていた。その面目を一新するため,人々は国際連合という新しい名を冠してこれを復活させた。聖書預言を学ぶ者は,これがまさに預言された通りであったのを知る。―黙示 17:9-11。l

逃れることは1945年以来,急を要す

では逃れるための合図は何時現われましたか。昔のエルサレムの場合と同じく,軍隊の包囲が合図になるのです。この軍隊は国連の警察軍ではありません。講演者はこの点について説明しました。

現代の実体的なエルサレムを滅ぼすと,イエスの預言した軍隊は国連の中にある政治的な勢力である。それはキリスト教国の宗教組織に戦いを挑む。1945年,「憎むべき者」が底のない穴から出てきたときから,それは反宗教の,共産主義諸国を擁していた。

従って1945年,国連成立の年に,現代のエルサレムは軍隊に囲まれ始めた。この軍隊は霊的な淫婦であるエルサレムを遂には滅ぼし,裸にしてしまうであろう。ダニエルの預言およびイエスの警告の言葉を読んで悟る者は,そのことを知る……。

ハルマゲドンの戦いがますます近づいたしるしは,我々の眼前にある。姦淫を行なう者であるこの宗教 ― 政治同盟が分裂し,象徴的な獣とその十の角が淫婦である組織された宗教に向かうとき,それは「全能の神の大いなる日の戦い」の始まったしるしとなるであろう。神はこの戦いによって,メシヤによる御国の敵対者をことごとく滅ぼす。王イエス・キリストと天使の軍勢が,「憎むべき者」およびイエスの支配に敵対して立てられたすべての他の者を滅ぼすとき,この戦いは終りを告げる……。

今はちゅうちょすべき時ではない。今こそ安全を求めて逃れる時である。a

1945年以来,逃れることは緊急に必要であるとの警告を心に留めながら,大会出席者は日曜日朝を迎えました。「太平洋諸島の日」と呼ばれたその日に島々からの報告を聞いてのち,協会の副会長が登壇しました。

「栄光をもって家をみたす」と題するその話は,ハガイ書 2章7節の次の言葉に基づくものでした。「又われ万国をふるはんまた万国の願ふところのもの来らん又われ栄光をもてこのみやにみたさん万軍のエホバこれを言う」。エホバの宮はどのように栄光にみたされますか。エホバは万国の願わしい者すなわち大ぜいの群衆」を崇拝の宮に導き入れることにより,この事をされます。

1914年,エホバが王キリスト・イエスを位につけたとき諸国家は自らの存続を危ぶんで恐れるべきであった。「彼らはいまや神の御国と対決しなければならない」からである。新世社会の拡大は諸国家をいっそうふるう結果となった。

エホバがサタンの世をふるう結果,何者かが来なければならぬ。ハガイによれば,それは「万国のねがうところのもの」である。b

この聖句のヘブル語原文の意味がいっそう明らかになった結果,万国の「ねがうところのもの」に関する以前の理解はもはや採り入れられないことを説明して,副会長は次のように述べました。

これら預言の解釈に関して理解が進んだいま,万国の願うところのものが来たかどうかを尋ねるのは至当である。ここにいる何千人のエホバの証者の油そそがれた残れる者よ,目をあげて巨大なヤンキースタジアムを埋めつくした万国の善意者の群衆を見よ。この問に対する万軍のエホバの答えはここにある。エホバは御国の良いたよりを証のため全世界に宣べ伝えさせることにより万国をふるい,万国の願うところの者はすでに来た。ハルマゲドンの戦いによって,この大きなふるうわざが完成し,悪魔の制度のふるわれた天と地が全く除かれるまで,更に多くの願わしい者が来るであろう……。

いま栄光にみち,神からの平和を持つエホバの崇拝の家を見よ。エホバの言葉を立証するこの光景を生きて目撃する我々は祝福された者である。「清くうるわしいもの」をもってエホバを崇拝し,万国の願うところのものが来るのを助けて更に大きな栄光で宮をみたすために働くことにより,エホバの宮に留まる者は幸いである。c

1953年の大会の閉幕と延長

7月26日,日曜日午後1時,スペイン語を話す4075人の聴衆に公開講演が行なわれました。d 次いで午後4時,協会会長による公開講演「ハルマゲドンの後 ― 神の新しい世」が行なわれ,エホバの証者の新世社会の大会は最高潮を迎えました。講演を聞いた16万5829人のうち,4万9027人はトレイラーの町に,9万1562人はスタジアム内部,2万5240人は周辺の天幕に集まりました。WBBR放送によって講演を聞いた人も大ぜいいたことでしょう。プログラム終了後,講演を印刷した冊子が出席者に無料で配られました。e

その日の晩,会長の閉会の言葉,歌と祈りによって大会は終わりました。別れにあたって会長の与えた愛のこもった助言は,

たとえどんな小さな集まりでも,あるいは大きな大会でも,新世社会はエホバの保護によってハルマゲドンを通過するであろう。従って我々は家に戻って忠実な奉仕に励みつづけ,エホバをほめたたえよう。

というものでした。f

トム: ニューヨークに来られなかった人々のため,何かの準備が設けられましたか。

ジョン: もちろん主要な話はものみの塔に出ましたが,ニューヨーク大会のあと,1953年のヤンキースタジアムにおける大会にかたどった大会が,五大陸で開かれました。

たとえばアフリカでは,現地の人々の手で巨大な屋外大会会場が作られ,宿泊用の小屋も準備されました。アフリカの兄弟たちの才能と勤勉さ,神権的な活動に対する熱意は,世界中の兄弟たちの感嘆と愛のまとになりました。

新世社会の活動に対する反応

トム: それは本当に驚くべきことですね。

ジョン: これは大会の運営にあたって考慮された大切な事柄です。大会の運営にあたった人々は当座の必要をみたすことだけでなく,将来にも同様な必要のおきることを考えていました。それで将来における他の大会のために新しい人を訓練することが行なわれました。

1950年の場合と同じく,ニューヨーク大会はあらゆるニュース機関によって報道されました。その典型的なものとして7月22日付ニューヨーク,ワールドテレグラム・アンド・サン紙の記事を例にとると,

12万5000人のエホバの証者を集めて行なわれた新しい世の大会は,上品さ,大人としての振舞い,下品な風俗に無関心な敬虔さという点で目立つものであった。ニュージャージー州ニューマケットのトレイラーの町は,― このようなものは往々にして目をおおうほど汚ないものになりやすいが ― 良い計画と組織の手本であった……我々はこれらの人々のために何時でも我々の町を解放することを提案する……また毎年ここではめをはずしている人々が彼らの手本にいくらかでもならうことを希望している。g

主イエス・キリストの下にある一つの新しい世界の理解と黙示を得,あらたな一致を見出したエホバの証者は,どんなに遠く離れたところにいてもひとつの制度の中で同じく能率的に,また秩序を正して事を行なう意欲に燃えた新しい民となりました。1953年の大会後協会の作製した映画,「躍進する新しい世の社会」はこの一致を如実に示すものです。

上映時間1時間20分のこの映画は,1954年4月3日の夜,ブルックリン本部の外部ではじめて公開され,ニューヨーク市の一巡回大会で1110人の人がこれを見ました。これは協会の組織の規模,その施設,伝道活動,大規模な大会,円滑で能率的な運営,その精神などを,ありありと映し出して見せました。ものみの塔協会の支部事務所の管轄する地域においてこれは上映され,エホバの証者が18年間,禁令下にあった台湾においてさえ,大ぜいの人々がこの映画を見ました。1955奉仕年度の終りまでに,解説つきのこの映画を見た人の数は,237万9549人に上っています。h

しかし1954年と1955年に起きた多くの出来事を今晩お話しする時間はありません。御国の支配の下における40年間の奉仕は終りに近づき,各奉仕者を訓練することによって新世社会の一致を更に強める努力がつづけられていました。そのうえこれは第二次世界大戦後10年間の伝道活動が終りに近づいた時に当りますから,全世界にわたる伝道活動をしらべ,どんな進歩が見られたかを検討することは良いと思います。来週,その事をお話ししましょう。

[脚注]

a (イ)1951年ものみの塔(英文)548-561頁。

b (ロ)イと同じ。617-630頁。

c (ハ)1951年8月1日-5日。ロンドン,エホバの証者の清い崇拝大会報告。

d (ニ)1951年ものみの塔(英文)756-763頁。

e (ホ)1952年ものみの塔(英文),25-29,56-57頁。1952年度年鑑,140頁。

f (ヘ)1952年ものみの塔(英文),27,58,59頁。1952年度年鑑,141頁。

g (ト)1952年ものみの塔(英文),90,93頁。

h (チ)トに同じ。121,122,124,125頁。

i (リ)トに同じ。156頁。

j (ヌ)1952年ものみの塔(英文),188,189頁。

k (ル)1953年度年鑑,68,69頁。

l (オ)1954年度年鑑,62頁。

a (ワ)1955年度年鑑,62頁。

b (カ)目ざめよ! 第37巻,1956年2月22日号,13-15頁。

c (ヨ)エホバの証者の新世社会の大会報告,1953年7月21日,5,6頁。1953年9月22日号「目ざめよ!」,(英文)9-14頁。

d (タ)アルバニア,アラビヤ,アルメニア,デンマーク,フィンランド,フランス,ドイツ,ギリシャ,オランダ,ハンガリー,イタリア,ルチアニア,ノルウエー,ポーランド,ロシア,スロバク,スペイン,スェーデン,ウクライナの各語で集会が開かれた。1953年7月25日,エホバの証者の新世社会の大会の報告43頁。

e (レ)1953年ものみの塔(英文),584頁。

f (ソ)エホバの証者の新世社会の大会報告,1953年7月21日,1-4頁。

g (ツ)ソに同じ。1953年7月23日,17-19頁。

h (ネ)エホバの証者の新世社会の大会報告,1953年7月25日,36頁。1953年ものみの塔(英文),580-583,596-607頁。

i (ナ)エホバの証者の新世社会の大会報告,1953年7月25日,33-35頁。

j (ラ)ナに同じ。40頁。

k (ム)エホバの証者の新世社会の大会報告,1953年7月26日,49,50頁。

l (ウ)1953年ものみの塔(英文),562頁。

a (ヰ)ウに同じ。564,565頁。

b (ノ)エホバの証者の新世社会の大会報告,1953年7月28日,67頁。

c (ク)1953年ものみの塔(英文),635,638頁。

d (ヤ)エホバの証者の新世社会の大会報告,1953年7月28日,76頁。

e (マ)ヤに同じ。65,66,81頁。

f (ケ)やに同じ。75頁。

g (フ)エホバの証者の新世会の大会報告,1953年7月19-26日71頁。

h (コ)1953年ものみの塔(英文),361-364,680-683頁。

[92ページの図版]

印刷機を持ち上げて工場にいれるところ 1952年

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