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  • 模型的な祭司職は道を示す
    ものみの塔 1968 | 9月1日
    • た良心,つまり自分たちの汚れがすべて神の目にあらわに映っており,かつ,自分たちのために十分な供え物をささげ得るふさわしい人間はひとりもいないという意識を持つ,不利な事態の下で依然として苦悩しました。そのアロンの祭司職はそのすべての職務を含めて,「きたるべき良いことの影をやどすにすぎず,そのものの真のかたちをそなえているものではないから,[それは]年ごとに引き続きささげられる同じようないけにえによっても,みまえに近づいて来る者たちを,全うすることはできない」のです。―ヘブル 10:1。

      20 それでは,どのように,またどんな根拠に基づいて,人々は命の源なる天の神に近づき,かつ,汚れた良心によりさまたげられることのない,神との関係を享受する希望をいだけるのでしょうか。仲介者モーセ,大祭司アロン,その従属の祭司および民族全体に宿っている,人間の不完全さという致命的な欠陥ははたして克服できるでしょうか。このことに関する喜ばしい答えはエホバがみずから与えていられます。では次号の「ものみの塔」誌上でこの点を論ずることにいたしましょう。

  • クリスチャンは自己防衛をどう見るか
    ものみの塔 1968 | 9月1日
    • クリスチャンは自己防衛をどう見るか

      犯罪と暴力の満ちている世界では,いかにして自分の生命と財産を守るか,ということが大きな問題になってきます。

      これはあなたも含めて,すべての人が直面する問題です。もしあなたがエホバの証人であるならば,このうえにもうひとつエホバ神に忠実であるがゆえにもたらされる反対という問題が加わり,それとも戦わねばなりません。

      自己防衛に関連した問題をいかに扱うかを判断するにあたり,エホバのみこころを行なうことに献身しているクリスチャンは,最高の知恵の源である神のことばに導きを求めます。聖書の勉強によって,クリスチャンは自分が従うべき律法と原則を理解するようになります。―テモテ第二 3:16,17。

      ということは,クリスチャンは,神が古代イスラエルに与えた律法に述べられているとおり,またそれが聖書にしるされているゆえに,傷をもって傷に報い,攻撃をもって攻撃に報いねばならないということですか。(出エジブト21:24,25)そういう意味ではありません。なぜなら,クリスチャンはその律法の下にいないからです。イエス・キリストの死後,その律法制度は終わり,さらにまさったキリスト教制度がそれにとってかわりました。使徒パウロが示すところによると,イエスは「さらにまさった契約の仲保者となられ……初めの契約を古いとされた」のです。(ヘブル 8:6,13)またパウロは,「あなたがたは律法の下にあるのではなく,恵みの下にある」と述べています。(ローマ 6:14)もちろん,キリスト教の要求が,律法の要求と同じ原則にもとづいている場合には,その特定の問題が昔どのように扱われたかに注意するのも有益です。

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