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感謝の表示をもってエホバのみ前に来なさいものみの塔 1971 | 10月1日
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ではありませんでした。イエスはまた,家族のある者が神を崇拝することを願っているのに,他の者がそれに同意しないため,どのように家族に分裂が生ずるかを告げられました。―マタイ伝 10章。
15 (イ)ルカの記述に示されているように,イエスとともに最後の過ぎ越しの祝いに集まった使徒たちは,その時どんな事柄を学びましたか。(ロ)その同じ集まりに関連して,ヨハネはどんな顕著な教えを記録していますか
15 別の場合には,ルカ伝 22章19-30節に記録されているように,イエスは過ぎ越しの祝いが完了した後,パンとぶどう酒とをもって主の晩さんを始められました。イエスは彼らと王国に関する契約を結ばれました。また,だれが最も偉大であるかについての激論を冷静な態度で親切に処理されました。それは彼らのならうべき模範でした。ヨハネ伝 13章から17章には,その時に集まっていたご自分の追随者にイエスが語られた良い事柄の多くがしるされています。互いに愛し合いなさいという新しい戒めはその時に与えられました。そこにいたイエスの追随者たちは,実を結んでエホバ神に栄光を帰することの重要性を銘記させられました。イエスは彼らが愛を表わし,神の栄光となる実を結ぶに際し,ご自分と同様に彼らも憎まれ,迫害を受けることを示されました。15章でイエスはクリスチャンの中立の立場を説明し,17章にしるされている祈りの中で再びそのことを強調されました。その集まりに出席していた人たちのすべてには確かに,エホバ神に感謝を表わす多くの理由があったに違いありません。
16 イエスはエホバに対する感謝の念をわたしたちにいだかせずにはおかないどんな霊的な建築のわざを行なわれましたか。
16 教え導くために人々を集めることによってイエスが成し遂げようとしておられたのは,クリスチャン会衆の設立でした。それは一種の建築のわざだったのです。イエスご自身が偉大な隅の首石であり,忠実な使徒たちもその基の一部を成しています。「汝らは使徒と預言者との基の上に建てられたる者にして,キリスト・イエス自らその隅の首石たり」。(エペソ 2:20)キリスト・イエスは同時に,この会衆あるいは集まりの頭として任命されています。「彼はその体なる〔会衆〕の首なり,彼は始にして死人の中より最先に生れ給ひし者なり。これ凡ての事に就きて長とならん為なり」。(コロサイ 1:18〔新〕)クリスチャン会衆がすばらしい組織であること,またイエスがその建物を構成する生ける石を集めることによって行なわれた偉大な建築のわざを考えただけで,どんな人でも神とその目的とに関心を持ち,かつ感謝の表示をしたいとの気持ちに動かされるはずです。その感謝は天の父に対してささげられるものです。しかし,「その『生ける石』の建物は今日どこにあるのか」と尋ねるかたがおられるかもしれません。それはすぐわかっていただけることなのですが,まず次の記事をお読みになって,キリストの死後からわたしたちの時代に至るまで何が起こったかを学んでください。
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キリストの死後催されている集まりものみの塔 1971 | 10月1日
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キリストの死後催されている集まり
1 (イ)イエス・キリストの死が原因となって,その追随者は集まることをやめましたか。(ロ)困難な時期における彼らの集会において,キリストはどのように励ましを与えましたか。
クリスチャン会衆を構成する者として,イエスから訓練され,かつ選ばれた人たちの信仰は,イエスの死を取り巻くできごとと,それに関連して起こった彼の追随者たちに対する迫害によってきびしく試みられました。当時の彼らは相当な危険に面していたにもかかわらず,忠実な人たちは神に崇拝をささげ,感謝の
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