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神の子たちは良いことを見習うものみの塔 1971 | 10月15日
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神より生るる者は罪を〔行ないつづけず〕,神の種その衷に止まるに由る。彼は神より生るる故に罪を〔ならわしにする〕こと能はず」。(ヨハネ第一 3:8,9〔新〕,14,24; 5:19)それには信仰が結びついていなければなりません。そうした信仰をイエスは『万の種よりも小い』一粒の芥種にたとえました。最初はごく小さなものですが,正しく育てられると,限りなく更新されるエネルギーをもって生育し,やがてあなたはあらゆる障害を排除もしくは乗り越えられるでしょう。神の意志と一致すれば,「汝ら能はぬこと無かるべし」と言いうるでしょう。そうした信仰は,神の子としてのわたしたちが良いことを首尾よく見習えるようにするものとなるでしょう。なぜなら,「およそ神より生るる者は世に勝つ,世に勝つ勝利は我らの信仰」だからです。―マタイ 13:31,32; 17:20。ヨハネ第一 5:4。
19 古い事物の体制の終わりの日である今日,クリスチャンとしてのわたしたちの生活や奉仕にかかわる障害や妨害にはたいへんきびしいものがあります。数多くの問題があります。このことを予知されたエホバは,時宜をえた有用な助言をご自分のみことばの中に用意しておかれました。このことを,割礼なかんずく前述の心の割礼に関して聖書が述べる事柄に照らして考慮するのは有用でしょう。
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心と耳に割礼を受けるものみの塔 1971 | 10月15日
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心と耳に割礼を受ける
「項強くして心と耳とに割礼なき者よ,汝らは常に聖霊に逆ふ」― 使行 7:51。
1 割礼には早くからどんな意義が付されましたか。なぜですか。
割礼は物事の記録と同じほどに古くから行なわれ,また知られており,同時に健康および宗教上の見地から多大の関心の対象ともされてきました。割礼はまず第一に完全性からの人間の堕落のゆえに医学的な理由で必要になったと考えられます。いずれにしても,それがいつから行なわれたにせよ,ほどなくして宗教的な意義が付されたのは明らかです。このことは聖書の記録からもわかります。堕落した人間は「造物主を措きて造られたる物を拝し,且これに(事)」えたのです。(ロマ 1:25)その結果,性と多産その他このことに関連する物事すべてに不当な注意また崇拝さえ向けられるに至ったのは当然です。字義どおりには「まわりを切る」という意味の割礼は,生殖器に関係する事柄で,終身身分を証明するしるし,また社会的あるいは宗教的集団へ加入したことの証明のしるしともなります。しかし,割礼は真の宗教において正しい位置を占めるものでしょうか。もしそうであれば,正しい理解に基づいてこの問題にしかるべき注意を払いたいと考えます。そうした正しい理解を得るには,信頼できる情報の唯一の源である神のことば,聖書に行かねばなりません。
2 神はいつまただれを相手にして割礼の要求を定められましたか。その詳細に関してどんなことがしるされていますか。
2 聖書の中で,割礼が最初に指摘されたのは,神がアブラハムとの契約を結ぶ,もしくは確認したときのことです。当時,アブラハムは99歳でした。神はアブラハムに言われました。「汝等の中の男子は咸割礼を受くべし是は我と汝等および汝の後の子孫の間の我が契約にして……汝等其陽の皮を割べし是我と汝等の間の契約の徴なり」。さらにこう詳しくしるされています。「男子は家に生れたる者も……金にて買ひたる…者も皆生れて八日に至らば割礼を受べし……割礼を受ざる男児即ち其陽の皮を割ざる者はわが契約を破るによりて其人其民の中より絶るべし」。したがって,
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