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飢えた世界にどんなパンを与えるかものみの塔 1971 | 10月15日
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18:37)イエスの奇跡,病気をいやしたこと,空腹な者たちに食物を与えたこと,死者を復活させたことなどは,イエスがメシアであり,神よりつかわされた者であり,人々がそのことばを聞かねばならないかたであることを示すしるしでした。同時に奇跡は,イエスが神の王国の王として,予定の時に,人類の永遠の福祉のためになにを行なわれるかを示すものでした。
しかし,あがないとしてその命をささげられたことを別にすれば,1,900年昔のイエスの宣教の最重要な部分は,イエスが言われたこと,イエスが語られたことばでした。イエスは神から聞いた命を与えることばを語られました。それは,もし注意を払うならば,人を一食や二食のパンにありつかせるだけのものではなく,最大の目標 ― 永遠の命に導くことばでした。イエスは,前日奇跡によってパンを与えた者たちに向かって「朽つる糧のためならで永遠の生命にまで至る糧のために働け」と言われました。―ヨハネ 6:27。
イエスは弟子たちをつかわされたとき,物質のパンではなく,霊のかて,すなわち命のことばをもたせてつかわされました。「わが汝らに語りし言は,霊なり生命なり」とイエスは言われました。(ヨハネ 6:63)彼らはイエスの模範に従ったので,真のクリスチャン会衆として知られるようになりました。イエスの真の弟子の会衆は依然として存在しており,依然として「個人的な証人の少数者」です。人類の世界についていえば,会衆の任務,その任命は,「福音は先もろもろの国人に宣伝へらるべし」であり,「もろもろの国人を弟子となし………わが汝らに命ぜしすべての事を守るべきを教へよ」です。―マルコ 13:10。マタイ 28:19,20。
人々を真正のクリスチャンにすることができるのも,彼らを真のキリスト教宣教に活発にならせることができるのも,この会衆だけです。この会衆に協力してはじめて各個人は,神のご意志に調和したそして世の貧困者たちに永遠の益となる愛の行為を正しく行なうことができます。ひとりびとりにとって最も重要なことは真のクリスチャン会衆を見つけ出し,真のキリスト教の側に自ら立場を取り,その会衆と交わることです。
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真の教会はどのように人々を援助するかものみの塔 1971 | 10月15日
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真の教会はどのように人々を援助するか
真のキリスト教は,「個人的証人の少数者」すなわちクリスチャン会衆の使命がなにかを忘れなかった真のクリスチャン会衆の中で,生きのびました。そのために真のクリスチャン会衆は,人々を「米クリスチャン」または名前だけのクリスチャンではなく,キリストの真の弟子にすることができます。
真のクリスチャン会衆は「金持ちの教会」ではありません。その成員はひとり残らず,イエスや使徒たちがしたように,直接人々の家に行って個人的に奉仕する証人ですから,彼らはおとずれを人々の心に,飢えと貧困に苦しむ人々にさえ,伝えることができます。
クリスチャン証人たちはふつう,彼らが奉仕する人たちと同様の境遇の中で生活しています。それでも彼らはその非常に限られた資力を,ふつうの人々に神のことばを伝えるために用います。「飢えた人間に説教はできない。彼が欲しいのはパンであってことばではない」とよく言われます。しかしそれはだれにでも当てはまるもの
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