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求愛に対するクリスチャンの見方ものみの塔 1974 | 4月1日
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ようラバンに頼んだことも記されています。(創世記 29:15-20)さらに言えば,これら真の崇拝者たちの結婚は成功しました。
そのような取り決めのもとでの結婚にクリスチャンが反対する聖書的根拠は実際にひとつしかないでしょう。それはどんな場合ですか。それは,そのような取り決めが,真の神エホバを信ずる仲間の信者でも,神の子イエス・キリストの弟子でもない人との結婚を要求する場合です。―申命記 7:3,4。コリント第一 7:39。コリント第二 6:14とくらべてください。
したがって,次の記事の中で述べられていることは,求愛の習慣を奨励するものでも,また多くの国にある習慣を軽視したりその価値を過小評価したりするものでもありません。むしろ,神のことばである聖書の健全な助言を,とくにそのような求愛の習慣が実際に存在する国に住む若い人びとに与えることを目的としています。
十代の結婚
しかし,若い人びとを主要な対象としているといっても,次の記事の目的は,早い結婚を勧めることではありません。十代の結婚が,片方または両方がもっと円熟した年齢の人たちの場合の結婚ほどに成功する可能性が少ないのは,厳然たる事実です。ある社会学者が,「研究調査の示すところによると,一般に十代の結婚は,もっと年がいってからの結婚にくらべ,離婚率または不幸になる率が高いのが特徴である」と述べているとおりです。
一方,そうした若い人びとの間の結婚をきびしく排除するための聖書的根拠もありません。たいていの場合国の法律は,自分の信ずるところは子どもの最善の益となって最大の幸福にいたり,子どものためによいことであると決定する,円熟した判断を働かせる権利を親に与えています。親は自分の監督下にある息子または娘の結婚を許すか,許さないか,どちらかに決定します。確かにわたしたちの時代には問題がたくさんあり,失敗に終わる結婚が非常に多いのですから,親は注意を要します。また考え深い若い人も,『急いで結婚してゆっくり後悔する』よりも,むしろ同じように用心すべきです。向う側に何があるかをよく知らないのに,扉があいているというだけの理由で急いでその門をくぐるのは愚かなことです。
老若を問わず賢明な人は,何よりもまず神の導きを求めます。そうです,『なんじのわざをエホバに託せよ さらば汝の謀るところ必ず成るべし』です。なぜなら,『人は心におのれのみちを考えはか』りますが,『その歩みを導くものはエホバ』だからです。―箴 16:3,9。
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求愛期間を誉れあるものに保つものみの塔 1974 | 4月1日
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求愛期間を誉れあるものに保つ
聖書は,「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです」と述べています。(ヘブライ 13:4)では結婚に先行するもの,つまり多くの国で見られる求愛期間も,それが神に喜ばれるものであるためには,誉れあるものに保つのが当然ではないでしょうか。
あるところでは,少なくとも父親か母親が,あるいは年長者がだれかいるときでなければ,若い男性が若い女性と同席することは許されません。しかし欧米の多くの国では,そうした若い人びとが同伴者なしでいっしょにいることが少なくありません。そこで問題は,そのようにより広い範囲の自由が許されているところでは,どうすれば求愛
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