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  • イエスの宣教期間はどれほどでしたか
    ものみの塔 1976 | 7月15日
    • もなく,33年のことです。ですから,イエスが死んで,三年半に及ぶ宣教を終えたのは,西暦33年のニサンの14日に違いありません。

      このように,ダニエル 9章24-27節の預言,イエスの宣教期間中に過ぎ越しが四回祝われたこと,満月の日であるニサンの14日が金曜日に当たるのは西暦31年でも32年でもなく33年であったことなどの諸点を考慮することによって,イエスの宣教は一年や二年ではなく,三年半に及んだとの結論に達します。

  • 『わたしは血肉に助言を求めなかった』
    ものみの塔 1976 | 7月15日
    • 『わたしは血肉に助言を求めなかった』

      エミール・シュランツの語った経験

      長年にわたるエホバへの奉仕を振り返ってみて,一つの顕著な事実と言えるのは,『わたしは直ちに血肉と協議したりはしなかった』という点です。ガラテア 1章16節にある,クリスチャン使徒パウロのこの言葉は,わたしにも当てはまると思います。なぜでしょうか。クリスチャンとしての歩みを始める際,そしてこれまでに幾度も,『わたしは血肉にではなく』,神と神のみ言葉に助言を求めたからです。

      しかし,若いころのわたしは神についてほとんど知りませんでした。わたしはルクセンブルク大公国の北部,オースリングと呼ばれるところで育ちましたが,そこは迷信的な考えが染み込んだ土地でした。例えば,雌牛を病気から守るために“聖”アルビンに,そして事故や馬の病気を未然に防ぐために“聖”セルシウスに祈りがささげられました。豚を守ってもらうため,“聖人”に祈ったことさえありました。

      父は非常に信心深い人で,司祭になりたいという願いをわたしの心の中に育みました。わたしは既にミサの際に侍祭として仕えていましたが,第一次世界大戦後の出来事のため司祭に対する父の信頼感は揺らぎました。わたし自身についていえば,12歳になって初めて聖体拝領にあずかるときに,神はわたしに近づいてくださり,その日は人生で最良の日となるであろうと告げられていました。ところが十分な準備にもかかわらず,その日はむなしさを後に残したにすぎませんでした。堅振礼の際にも同様の幻滅を味わいました。わたしは,約束されていたこととはうらはらに,聖霊の表われなるものを全く感知しませんでした。司祭になりたいという希望はもはやなくなりました。

      年月の経過とともに,わたしは友人たちに惑わされ,大酒を飲むようになりました。しかし,1930年ごろになって,わたしは毎週日曜日に自分の兄弟の一人を訪ねるようになりました。わたしたちは,よく若いころの思い出話をし,神とそのお目的について無知であることがもたらす失意について語り合ったものです。そして,自分たちがまだ一度も見たことがなく,司祭だけが持っているように思える聖書について話しました。兄は幾度となくこう言いました。「もし神が,司祭の教える以上の事柄をわたしたちに告げようとしておられないのなら,神は存在していないと思う」。そして次のような言葉を付け加えたものでした。「本物の聖書を手にすることさえできたらなあ」。そのときまで,わたしは血肉に助言を求めることしかできませんでした。聖書を入手して,神からもたらされた言葉をじかに読めたら,どんなにかすばらしいでしょう。

      み言葉を通して神に助言を求める

      1933年のある日,そうした事柄を話し合ってから数日後,一人の男の人が兄の家を訪ねて来まし

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