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あなたがたは聖なる者でなければならない エホバは聖なる者であられるからであるものみの塔 1976 | 6月1日
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がエホバの神聖さを得るのを助けるためにエホバが注がれるのです。他の人々に対して偽善のない愛を示すことにより,またわたしたちの聖なる神エホバへのますます深まる愛をもってこたえることにより,わたしたちは真の清さを示しましょう。―マタイ 22:37-40。
24 わたしたちはどんなすばらしい見込みを実現させることができますか。それはすべての誉れがだれに帰せられる結果となりますか。
24 今日,わたしたちは皆,なんとすばらしい見込みを前途に持っているのでしょう。多くの人が,とても到達できない,と考えていたあの「神聖さ」をわたしたちのものとすることができるのです。真に「聖なる」人々が,神の多くの優れた特質を永遠にわたって反映する時はどんなにすばらしいことでしょう! すべての賛美と誉れは神に帰します。「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしは聖なる者だからである」との命令にこたえ応ずる機会を与えてくださったことに対して,わたしたちはエホバに深い感謝の念を永久に抱き続けることでしょう!―ペテロ第一 1:16。
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全身麻痺にもめげず満ち足りた生活を送るものみの塔 1976 | 6月1日
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全身麻痺にもめげず満ち足りた生活を送る
フィリピンのロドルフォ・バリンの語った経験
わたしが人手を借りずに立ち上がって歩けたのは七年も前のことです。五年前にはまだ自分の名前を書いたり,自分で食事を取ったりすることができましたが,昨年中はそうした簡単なこともできなくなりました。読書をする時にはだれかに本のページをめくってもらわねばならず,車イスの中で前に身を乗り出しすぎると,頭が前に垂れてしまい,人手を借りなければ頭を持ち上げることができません。わたしは,多発性硬化症として知られる,体の自由を奪うあの麻痺にかかっているのです。
この病気に襲われたとき,わたしは37歳でした。それまで丈夫で,がっちりした体格の持ち主であったわたしがどのようにして今まで,快活で積極的な態度を保ってこられたのか不思議に思われるかもしれません。この無情な敵との11年に及ぶ闘いの間,失意から生ずる憂うつをどのように追い払ってきたのでしょうか。その答えを得るには,わたしが創造者エホバ神に献身した年,1957年にまでさかのぼらねばなりません。
エホバに頼ることを学ぶ
聖書の真理を確信するようになるまでには,エホバの証人と二年余り研究をしなければなりませんでした。しかし,ひとたび確信してからは,自分
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